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学芸美術 画家の心 第39回「パウル・クレー 民族衣装を着た女 1940年作」

いつも思うのだがクレーの絵は不可思議がいっぱいだ。
「花の少女」(本シリーズ第9回)を模写したときも思ったのだが、奇妙な顔の少女がいつの間にかに可愛らしく見えてくる。

模写「パウル・クレー 民族衣装を着た女 1940年作」

この絵の少女はどうだろうか、頭に茶色のスカーフを被り、まっ赤なリボンの髪飾りをつけている。

日本の風景になぞらえるならこんな感じだろうか。
浴衣姿に赤い帯を結び、頭にまっ赤な大きな花飾りを付け盆踊りを舞う幼いおんなの子。
幼なじみの男の子と手をつないでいるのだろうか、両手をいっぱいに広げ踊っている。

篝(かがり)火(び)に照らされた愛らしい風景が目の前に広がる。

この絵は赤、茶色、白のわずか三色で描かれている。その色たちを区切るのが太くて黒い線。この線がこの絵の決め手になっている。

模写していて最後に黒線を入れるとなんとそこには微笑ましい少女が現れた。クリッとした目におちょぼ口…。
この感覚、誰かと似ている…。

そうだ、前回紹介した棟方志功の板画、「釈迦十大弟子」(本シリーズ第38回)の太い黒の表現と同じではないだろうか。

棟方は言う。
「生まれた絵にわたしは責任を持たない」、と。

そして、クレーは言う。
「芸術は子供でもできる。大人が余計な手を出さなければ、素晴らしい絵になっている…」。

棟方は神や仏の命ずるままに手を動かし、板を彫り削る。

クレーは子供の心を持って絵筆を振るう。
では、子供の心とは何だろうか。

そう、「無心」だ。
ある意味「神の導き」に従っているだけなのだ。

クレーにとって、「具現画」と「抽象画」との境はなく、生まれ出た絵は「幻想」とも「抽象」ともつかないものになっている。

いったいひとはなぜ絵を画くのだろうか?
 
クレーはその本質に至ろうと、無心に絵筆を動かしただけなのか。

クレーがクレーらしい絵を描き始めたのが、52歳を過ぎてからだ。そして、志半ばの61歳で無念の内に他界する。
死因は心臓麻痺だった。合掌。

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