谷川俊太郎展にいってきた
思ったのは、しらない人とふたりで隣に並んで
同じ詩を読んでる、そのかんじがすごい恥ずかしかった。
絵ならわたしはぼへーっとほぼ何も考えずにみるから、美術館でそんな気持ちになったことないんだけど、隣に立ってる人もおなじペースでおなじ文を読んで、おなじようにこの文について色々と考えていると思うと、わたしが詩を読んでいる時に感じている照れくさい青臭い感情
そういうのがそのひとにもばれちゃってるのかも、なんて気がして
なんでだろ、その感覚がむずむずしちゃった。
あと、たくさんのひとが歩き回る場所で詩を楽しむっていうのは
ひとりしずかに、じっくり、かみしめて詩をよんでいく私には
なかなか難しい場所だった。
周りのカップルやら、おしゃれなお姉さんや、走るちびっこ
あとケータイで撮影するパシャ、パシャ、パシャという音にも気を取られてしまい、なんだか落ち着かず。
詩に陶酔している自分が誰かのパシャパシャに口を開けて写り込んでいたら本当にいやだわとか思って、カメラからすこしにげたりして、笑。
会場で起こるすべてのことや、出会う人、聞こえる音、それもまた展示の一部と考えるような粋なことをしたいものだけど
なんせ好きなものは、まじりけなく、ほかの匂いにも音にも色にも感情にも、じゃまされず楽しみたいたちなので。すこしつかれてしまった。
たとえば大好きな赤毛のアンを読んでいる時はもう赤毛のアンの世界を私の脳内で再生しているので、そのなかに自分がどれだけ入っていけるかがわたしの楽しみかたなわけで、そこで電車の隣のひとの「聞いて聞いて〜」というおしゃべりが聞こえると、グリーンゲイブルスから戻ってきてしまう私。神経質なんだろうなあ。だから本当にすきな本はひとり家で読む。
これからも大好きなものを愛でるときは
自分の部屋でお茶とお菓子を用意して、
ひとり、しずかにたしなむとします。