教育の無償化と義務教育について考える
何が正しいのかはわかりません。
私の中にあるのは『絶対に正しいものはない』という思いだけです。
まずはとても読みやすくまとめてくださっている下記のマンガを読んでいただきたい。
こちらのマンガ、この一話しか読んでいない私には伯母さんの細かな背景はわからないが、『お別れ会の70円くらい、給食費の3,000円くらい気持ちよく出してあげればいいのに。』と思う人は少なくないでしょう。
正直この作品の場合は、祖母がお金を出していると作中にあるので、子どもがイヤな気分になる発言をする権利が伯母さんにあるかは微妙になりますが…
70円、最低賃金790円の地域で働く人の5分程度の給料です。
3,000円、同賃金で働く人の4時間弱の給料です。
望めば何時間でも働ける社会ではなく、5分の残業すら口うるさい会社も少なくはない社会で、限られた労働時間、限られた所得の中から問答無用で徴収していく雑費。
快く出せない人間が、必ずしも悪でしょうか。
学校が義務教育であり学ぶ内容を国が決めている理由は、平均学力のようなものを他国と比較し、日本の優劣を決める材料になりうるからでは?
と考えている私にとって、現在の日本の学校教育が本当に子どもの為になっているのか疑問ばかりです。
極端な言い方をすれば、日本の見栄のための政策としか感じていないのです。
一方的に決められた枠組み、外れれば悪とする排他主義、異物を認めない島国根性、年功序列という悪習から抜け出せていない教育と教育者。
子どもの脳力が大人の脅威にならないように抑えつける教育者(親・教師・周囲の成人など)の、なんと多いことでしょう。
道徳や学活で命の大切さを教えることも、人との絆を教えることも悪いとは思いませんが、生きる術をどうして教えないのか理解できないのです。
なぜ勉強するのか
なぜ運動するのか
どうすれば人に好かれるのか
人に好かれるとどんな良いことがあるのか
なぜ16歳以下が働けないのか
なぜ法律があるのか、法律は何を罰するのか
成人すると何が義務となり、どんな権利を得るのか…
これらの質問に答えてくれる仕組みはどこにあるのでしょうか。
紹介した作中では、姉の鈴ちゃんが対策や考え方を教えています。
世の中にはそこらじゅうに理不尽が転がっています。
どんなに好かれる努力をしても叶わないことは多々あります。
それでも義務と権利の関係ではない、好かれる努力をして欲しいと願ってしまうのです。
無償の愛はとてもとても難しいものです。
彼女はどれだけの「ありがとう」を伯母さんに伝えているのでしょうか。
どれだけの笑顔で感謝をあらわしているのでしょうか。
粗末であろうと衣食住を提供している人への労いはあるでしょうか。
祖母がお金を出しているとはいえ、祖母は伯母の母です。
伯母がもらえるはずだった3,000円だったのかも知れません。
伯母の子どもが一度ももらったことのない3,000円だったのかも知れません。
そのぶん伯母が祖母に使わなければいけないお金が増えているのかも知れません。
彼女たちにその3,000円が渡るのが当然というのは、あまりに他人事な気がしてしまいます。
我が家では、9歳までは自分の身の回りのことだけでお小遣いがありますが、10歳からは家のことも手伝わないとお小遣いはありません。
ひとーつ、ふたーつ・・・ここのつ。 とお。
「つ」が取れたらプチ一人前、という考え方で私の親に倣ったものです。
働けるようになるのはあと8年と思った10歳の少女が、『返して出ていく』と思うのではなく、『今できることでお返しする』と思えるように。
毎日数えきれない『ありがとう』を感じる世界、見つけられる人でいられる世界を願わずにはいられないものです。
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