プロローグ
人間は長生きするようになった。それは科学の進歩がもたらしたものが大きい。日本の医療水準は世界1であると言われている。病院へのフリーアクセス、国民皆保険制度による安い治療費、病気の診断、治療技術である。アメリカのような先進国といえども健康保険に入っていなければ高額な医療費となり普通の人は払えない。日本では金持ちであろうとなかろうと医療機関は財布の中身を問うて受信資格があるかないかを決める事は無い。アメリカでは病院の窓口で医療費を払えるかどうかを聞かれる。払う能力がなければ今にも死にそうな患者でもお帰り下さいとなる。
高齢化社会になりこれから生産力を期待できない高齢者に何でもかんでも医療をして良いのだろうかと思う。ギリギリで健康保険料を払っている人のお金をMRI,CT,PETなどにまさに際限なくばらまいている。医療機器の会社もちょっとモディファイした機器を病院に供給する。投薬や手術より大切なのは医者と患者の関係であるが診療報酬に反映されないのであまり重要視されない。患者は病気の治療を求めて病院に行く。診察室に入る。医者はちらっと患者を見てコンピューターを見て患者に質問をする。大学病院などでは診察前に質問状が渡されていて医者はそれを見て大体を理解できるので患者に話しかけることもなく顔を見ないこともある。医者は「では次に検査に行ってください」などと言う。顔を見ないうちに検査になる。検査技師は一言も発することなくただ指示のある検査をしていく。看護師もそうだ。余計なことを言うと医者に叱られるから患者に話しかけないそうだ。いったい看護師とは何なのだろう。ある大病院で私は看護師に話しかけたことがある。すぐに部長の医師から彼らは忙しいので看護師に話しかけないでくれと言われた。この医者は一体何を考えているのだろう。医者、検査技師や看護師等と少しでも会話ができれば病気の治療が苦しいだけのものにならないかもしれない。
現場はかくのごとくなのでほとんどの人は病院には行きたくない。私だって病気になったらどこに行っていいかわからない。普通の人が入院してみるとたとえ見習いの看護師といえどもこちらが下手に出るというある種の不平等さを覚悟しなければならない。医療者側はよほど病気が難航しない限り患者と親しい間柄を築こうと思っていない。ほんの一言二言個人的なことを話しあえたとしたら医者と患者の間はもっと近くなるだろう。そういう関係が大病院になればなるほどなくなっていく。時代が進めば進むほど人間は検査データーの倉庫になっていく。人間的に暖かい医者のもとで診察してもらいたいし、また死にたいが無理だろう。癌の末期で助かる見込みのない人にも辛い治療を強いる。それがあたかも患者のためだと錯覚している。
私も若い頃過剰な医療を押しつけ家族も患者も苦しめたことがあった。死ぬために病院にやってきた末期のガン患者に輸液をしてしまった。何もしないより何日か長く生きたが苦しいだけの時間だった。わずかな生きる時間のため末期の患者にカロリーを補給するのは辛さが増してしまう。
暖かい言葉や病気への共感を示すことこそ重要なのだが、それは診療の一環とみなされ診療報酬支払の請求できない。注射や投薬や人工呼吸器や人工肛門や胃瘻は見えるので保険で請求できる。
極端な話どれぐらい長く患者のベッドのそばに留まり話をしたことに点数がつけられれば看護師も医者もベッドの脇に留まり世間話などをし病気を1時でも忘れられる世界を患者に与えられる。
実際問題そんなことでもしない限り患者はベッドに転がっている塊でしかない。
健康保険制度や高額医療の補助金制度があるので医療側は躊躇なく高額な機械を使うことができる。話の1つでも聞いて患者に触れて診察してみれば機械を使うよりずっと良い情報が得られるのだがお金にならない。高額な医療機器を使う事は病院側としては高額な収入が得られる。
現行の医療保険の無駄遣いについては私が医者であるから人よりは理解できる。法律上、整合性があれば1ヵ月のうちMRIを2度しようとどうしようもできない。高額医療機械は売る方も必死で医療者側も支払うために病名をどんどんつけて請求できるので医療費は湯水のごとく使われている。
私の例を挙げてみたい目の手術後翌日診察にいけないので医者を変えたことがあった。前日の検査の結果を持っていって見せたが、検査が嫌だったら出て行ってほしいと言われびっくりしてしまった。とても流行っているクリニックだった。手術はうまくいかなかった。
日本人の七割が病院で死ぬ。多くの人が自宅で死にたいと思っているが何か起こると家族が「救急車 救急車」と叫んでダイヤルを回してしまう。もう歳だから静かに死なせてあげたいものである。自殺せざるをえない人に同席し生き残る人が手を取って死を迎えさせてあげられないものであろうか?鉄道自殺、投身自殺など悲惨な方法ではなく薬物による静かな死が許されるような世界になれないものだろうか?
社会の進化に伴って女性が医者になる機会が増えてきた。まさに進歩の賜物である。女性が医療職に着くのは適正から見て悪くは無い。これはあくまでも臨床医についての話であるが。学問を追求するのであれば男性の方が有利な適性を持っていると思う。
女性は生命の誕生のためにどれだけ煩わしい思いをしてきたかだが詳細に語られる事は無い。思春期から始まる月経、個人差はあるがその煩わしさは筆舌に尽くしがたい。多くの人間は産まれ育っていく中で様々な病に見舞われていく。一定の割合で人間は死んでいく。この自然現象を覆す遺伝子操作もできるようになるかもしれない。
医者は患者を思いやり治療が行き詰まったとき誰もが安心して死ねるような社会になってほしい。
著者コメント;
敬称をつけていない点と読者に不快な思いをさせる表現もあるかと思いますが著者の思いと感じたことを書いておりますことをご理解ください。
今後も追加更新して行きますのでよろしくお願いいたします。
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