花井 華子 <女医の受難>

昭和28年東京で生まれる→昭和46年某国立大学医学部入学→昭和52年大学卒業→昭和52年東京の大病院に勤務→現在まで内科医として働いている

花井 華子 <女医の受難>

昭和28年東京で生まれる→昭和46年某国立大学医学部入学→昭和52年大学卒業→昭和52年東京の大病院に勤務→現在まで内科医として働いている

最近の記事

安楽死する、しない選択

日本だからか?死ぬことを気軽に話せないのは。他の国ではどうなっているか?一般の人の間では死ぬことを話題にすると縁起でもないといわれる。平均寿命をかなり超えた人も自分が死ぬことはまだ先のことと思っているようだ。他人の死は受け入れやすい。死が迫った時にみな狼狽する。私は普通の人がどんな死生観を持っているか気楽に雑談してみたい。 理論物理学者のホーキンス博士は21歳で筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した。体は大きい方だったが病気の進行と伴に手足が細くなり体も曲がって頭だけが目立

    • 助けられた命

      命と直接関わる診療科、脳外科、心臓外科や循環器内科等の医者は自分の心の緩みが原因で死亡してしまった悔やんでも悔やみきれない患者が1人や2人、否もっといるかもしれない。 悔やんで立ち止まっていたら仕事ができないと私の上司は言っていた。1人だめでも1000人が助かればいいじゃないのと私に言ったことがあった。実際彼は重大なミスを犯し大きな心の傷を抱えて耐えていた。  私はある患者の胸部レントゲン写真で通常には見え無い場所に薄い線があるのに気づいた。患者自身から訴えがあったわけでは

      • 友人は精神科の患者となった

        医学生だった頃、私はある友人(以後A子)の誘いで同じ下宿で暮らしていたことがあった。引っ越してすぐ隣のA子の部屋がにぎやかだったので部屋を訪ねた。にぎやかな声の主はかわいい中学1年の(あやちゃん)女の子だった。どうして一緒に住んでいるのか最初は分からなかった。 親御さんは娘を早く自立させようと大学の入学前から知っているA子に預けたのだ。あやちゃんの家は医者で娘が医者の道に進んでくれたらと思ったのだろう。A子はあやちゃんの食事の用意、弁当を作る、勉強まで教えることで大学生活がで

        • 更年期から始まるおばあさん体型

          街を歩くとはつらつと歩く若い女性を結構見かける。絶対的に女性が多い。若い男たちはそれでも何人かのグループを作り楽しげに歩いている。彼女らは余裕の歩きをして見せている。  一方そのなれの果てであるが背中が曲がり、あごと頭が前に出た着飾った女性もよく見かける。彼女らは歩くのが必死で周囲を見渡たりできる余裕はない。なんとかつまずかないで歩いている。  このような女性は何歳くらいか?背中見れば顔を見なくても大体わかってしまう。若いすっきりとした女性も例外なく老けていく。背中と首がまえ

          痛みを知らない医者

          ある本に痛みを全く感じない5、6歳の少女の写真が載っていた。古い写真なのでもうその子はいないと思う。彼女は体を切られても全く痛くないし何をされても痛くないそうだ。どうなっているのか?痛みを感じる脊髄求心神経がないのだろう。そうなると車にひかれても足を切られても痛くないので危険極まりない。これは極端な例であるが普通の人でも頭痛とはどういうものかわからない人がいる。私の親しい医者で頭痛ってどういうことかわからないと言う。彼は痛みを訴える患者を診察しても本当に理解できず当惑する。で

          病理解剖について (敬称略)

          先に載せた系統解剖は病気を扱ったものではない。正常に働いていた臓器が病気になり治療にもかかわらず亡くなった。死因となった中心臓器がどのようになっていたのか肉眼的に、また顕微鏡的に調べるのが病理解剖である。この解剖には乗り越えなければならないバリアがある。バリアとは 患者の家族が解剖を許してくれるかである。                  ほとんどの場合もうこれ以上傷つけたくない、一刻も早く家に連れて帰りたいと言われる。その時の語句は「医学の発展のため協力をお願いできないか」

          病理解剖について (敬称略)

          アンバランスな教授

           教授先生は午前の長すぎる外来診療を終えて自室に戻ってきた。予約制で診察する患者さんは10人ぐらいでそれほど多くない。大学病院だから簡単な病気ではない。午前中外来となっているが終るのはたいてい昼を過ぎて2時前になる。1時半から病棟回診があるが毎回間に合わない。  大学病院の回診はその教室のトップ教授と助教授の2人が週1回行う。患者を診ることは勿論だが、教室員の教育のため受持ち以外の患者を診る良い機会になる。これは大学病院に限らずある程度の病院では回診は行われている。  受持ち

          女性医学生の選ぶ道

          私の時代にはマイナーの科とされる眼科や皮膚科を選択する女性も男性もいなかった。勉学を積んできた学生が選ぶ科とはみなされていなかった。私の周囲の学生を見ても1学年上に1人だけ皮膚科に行った女性がいただけだった。変わりものとみなされた。今考えてみると彼女は時代の変化を見ていたのかも知れないし、さして医師であることに執着していなかったのかも知れない。皮膚科や眼科は他の疾患で付随した病気を扱うところと見なされていた。社会が裕福になって皆の考え方が変わってきた。貧しかった時代は目の病気

          忙しいから看護師に聞いて

          マスコミに高名な医者の本を読んだ。外来が混んでいて治療方針などについて聞けない場合は周りの人、特に看護師に聞いて欲しいと書いてあった。なんと癌の化学療法のことである。化学療法をすると何日位の入院、費用は、副反応などである。日本は世界でも誇る医療環境にある。それなのにこんなことを医者が書くなんて理解しがたい。 看護師は看護が専門であり、治療の説明をして欲しいと言ったってわかるはずはない。看護師が治療のことを話しているのを聞いたことがあるが誰かの受け売りだった。当たり前だ。

          忙しいから看護師に聞いて

          系統解剖

          初めての解剖 医学専門課程に入り他の学部とは全く違うことをしなければならない。遺体となった人(死亡した人をアルコールで固定してあり病死は含まれない)を使っての解剖である。体の隅々まで解剖していく。臓器は骨、筋肉、内臓、血管、神経、脳その他甲状腺などの小さな組織についてである。 系統解剖は医者になる必須条件である。肉眼での解剖実習はグロスと言われ顕微鏡を使っての組織実習はミクロと呼ばれていた。 専門課程に入ってすぐ始まる。初日の解剖実習のことを考えると2、3日前から緊張して前

          生理による女性の不利

          女性はある一定の年齢になると月経と言う恐ろしく嫌なものに見舞われる。 私の場合は天地がひっくり返り、自分は相当きたないものだと確信し憂うつ病になってしまった。私はこれからどうなって生きていくのだろうかと空恐ろしくなった。女になったと言う人もいる。この言い方は私には気に食わない。私は女に生まれていて何も新たに女になる必要は無い。反対に男になったという言葉はあるのだろうか。暴力団員が他の暴力団員を殺したなど男になったとヤクザの親分が時に使う。 生理について教育されていない時代

          看護師と女医

           看護師と女医の関係はどんなものか思い知らされたことがあった。昔、看護師はほとんどが女性であった。精神科では暴れる患者を押さえ込むこともあり男の看護師が必要であった。今は薬がいろいろできているので暴れる患者のケアもできるようになったので大暴れするような精神科の患者は少ない。薬によってぼうっとさせられている。  男の医者は女の看護師とはうまくいく。何故か?彼女らは医者と結婚するために看護師になったといってもよい。男の医者は浮気っぽいがそれも覚悟の上だ。できるだけ目につくよう一

          突然死

          多くの人は死ぬ時苦しみたくないと思っている。突然死したいと大抵の人は言う。私もそうだがそうはならないだろう。いろいろな自分の思いを残したまま死ぬのがもったいない。心をまっさらにするには他人との接触をせずお餞別としてお世話になった人、ないしこれから社会に出る人にあり金をあげてしまうと心がすっきりする。 物欲が消えないのが苦しみの1つだが、あるお金持ちの女性は持っているもの大部分を始末して介護付きのマンションに入居した。それで心がすごく軽くなったという。一番嫌なのはじいちゃんみた

          教授の自死

          全て時効だ。関係者の多くが死んでしまったから。 だが死なせてはいけないことは残った。若い頃からすばらしい業績をあげ誰もが認める穏健で爽やかと一見受けられるT大学の外科の教授が教授室で死んだ。ある方法で自殺した。何故自殺したか誰もが分からず途方にくれていた。 若いころ新しい診断技術を開発し医学の発達に貢献し、多くの患者に恩恵をもたらした。若い医者の教育にも力を注いだ。 教授を先頭にして颯爽と回診行列といわれる白衣の一団が患者のベッドを訪れた。 飛ぶ鳥を落とすがごとくの1人の外科

          私は何を学んだかー4話

          手術を断り続けて死んだサボテンの好きだった男性 このような死を選ぶ人を見たことがない。だいぶ前であるが私が行っていたアルバイト先の病院に合計私のところに10年以上通ってくれた60歳代の男性がいた。 彼は重い弁膜症を患っており、私は手術すると呼吸が楽になるし長生きするのよと何回も手術を勧めた。しかし彼は全く聞く耳を持たなかった。「そうかい、でもこのまま先生のところに通うのが良いや」と言うのみだった。 歳と共に心臓と肺の機能が悪くなっていくのがわかった。まともに歩けなくなってい

          私は何を学んだかー4話

          プロローグ

          人間は長生きするようになった。それは科学の進歩がもたらしたものが大きい。日本の医療水準は世界1であると言われている。病院へのフリーアクセス、国民皆保険制度による安い治療費、病気の診断、治療技術である。アメリカのような先進国といえども健康保険に入っていなければ高額な医療費となり普通の人は払えない。日本では金持ちであろうとなかろうと医療機関は財布の中身を問うて受信資格があるかないかを決める事は無い。アメリカでは病院の窓口で医療費を払えるかどうかを聞かれる。払う能力がなければ今にも