ドイツのケーキ 義母のケーキ
ドイツに暮らすようになって、今年でもう20年になる。
ドイツ料理は、もともと料理好きだし、義母が辛抱強くいろいろと教えてくれたので、だいぶまともなものが作れるようになったけれど、ドイツの家庭生活に欠かせないともいえる、手づくりケーキの腕前はなかなか一向に上達しなかった。一年を通して、家族の誕生日や子供たちの学校の催しものなどには、必ずといっていいほど手づくりのケーキを焼かなくてはならず、毎回その日が近づいてくるとなんとなく気が重くなった。それが最近やっと、胸を張って他人に出すことのできるドイツ風のケーキを2、3種類焼けるようになって、やたらに嬉しい。
私の勝手なイメージではあるが、日本でケーキといえば、だいたいフランス風と相場が決まっている。日本のいわゆるデパ地下などで見かけるケーキは、うっとりするような美しい色合いと、どうやって作ったのか想像がつかない複雑な形態で、足早に通り過ぎようとする人々の心をガッツリと捉えていく。
一方、ドイツの典型的なケーキはまず、とにかく大きい。そして、ずっしりと重い。色合いは茶系が多く、あまり華やかとはいえない。おしゃれであろう、などという野望は決して抱かない。威風堂々、質実剛健、内容重視といった形容詞がしっくりとくる。
ドイツのケーキのレシピを見ると、その分量の多さに引いてしまうことがある。バター250グラム、砂糖250グラム、卵4個なんてレシピがザラにあるけれど、大丈夫なのか。カロリーのことを考えはじめたら、罪悪感でケーキなんて焼けなくなってしまう。だいたいケーキ型の大きさからしてスケールが違うのだから。日本では直径18センチのものが一般的のようだが、ドイツではスタンダードが直径26センチか28センチ、義母はいつも直径32センチのものを使っている。超特大ケーキ型だ。その超特大ケーキを12等分に切り分けて、2切れか3切れをみんなが当然のようにペロリとたいらげるのを目の当たりにして、ドイツ人の標準的体型に納得がいった。
もっと親しくなりたい、とひそかに思っている人から自宅でコーヒーでも、とはじめて招待されたときは、なんだかその人との距離感が一気に変わるような気がして、約束の日がくるまでなんとなく落ち着かない。
ドイツに来てはじめのうちは、右も左もわからず、ただひたすら前のめりに進もうとしていた。何年かたって、地元の人と結婚もして、この国の生活にも少し慣れてきたかなあという頃に、ふと足を止めて周りを見回してみると、服装よりも住まいにこだわり、自宅を居心地のいい空間にするために労力を惜しまない人たちがたくさん、見えてきた。自宅とはまさに自分の「城」であり、その「城」に招き入れられるというのは、相手の懐に深く入っていくことを許可されたような気がする。
午後の3時ごろに招かれると、たいがいコーヒーと手づくりケーキでもてなされる。その人の得意のケーキか、あるいは季節の果物のケーキか。今までドイツでたくさんの手づくりケーキをご馳走になってきたけれど、正直見た目よりもずっとずっと美味しかったことのほうが多かった。
生活習慣や常識の違い、言葉の壁などがあまり気にならなくなってきた頃、周りの人達がみんな、初夏から秋にかけての、さまざまな果物の旬の到来をとても楽しみに生活していることに気がついた。暗くて寒かった長い冬がようやく終わり、宝石箱をぶちまけたみたいに鮮やかな彩りの、まぶしい季節の贈り物を胃袋まで使ってとことん味わいつくそう、という北の国の人たちの貪欲さを感じる瞬間だ。
五月ごろに市場などで初物の、たぶんハウス栽培の、苺やラズベリー、ブルーベリーが売り出される頃、ほうっておいても毎年勝手に生えてくる野草みたいな酸っぱいルバーブが庭で採れ始める。六月の半ばごろまでには、地物の苺に加えていろいろなベリー類、サクランボや桃も旬となり、値段もだいぶ手頃になってくる。短い夏があっというまに過ぎ、秋になると、プラムや西洋スモモ、りんごなどが美味しそうな色をしてたわわに実っているのをいたるところで目にするようになる。これらの果物には、それぞれにスタンダードなケーキの種類がいくつかあり、ネットで検索すると、すぐに美味しそうなレシピを見つけることができる。
義母のりんごのケーキは、今年83歳になる義母がきっとかれこれもう65年は作り続けている最強のケーキだ。どのケーキが食べたいか、ときかれると決まって「お義母さんのりんごのケーキ」と答える私に、義母はいつも笑って、「あんな簡単なケーキ」と恥ずかしそうに言う。たしかに義母のりんごのケーキはいたってシンプルだ。ビスケット生地の底生地の上に皮をむいて小さく切ったりんごを敷き詰め、たっぷりクランブルをかけて焼くだけ。それが何度食べても、なんともいえずいつも美味しい。決め手はりんごにあるのよ、と義母は言う。
ジャガイモへの愛とこだわりがとても強いドイツ人は、同じようにりんごにもうるさい。(ちなみにジャガイモへのこだわりは、日本人の米に対するこだわりと似たようなものではないかと私はにらんでいる。)
りんごにはとてつもなく数多くの昔からの品種があるが、近頃は大量生産や輸入もののりんごに押されて、昔ながらの品種がものすごく減ってしまったそうだ。私の住んでいる地方では、古い品種のりんごにこだわり、わざわざ古いりんごの木が植わっている土地を借り、手入れして、古い種の保存につとめている人たちがいる。
義母は実家から受け継いだという小さな果樹園を持っていて、そこに何本か数種類のりんごの木がある。りんごの他にも、桜、西洋梨、プラム、かりんなどの木があって、収穫の季節には私たちもせっせと手伝いと称して、美味しい果物のお相伴に預かっている。義母のりんごのケーキのりんごはそこで収穫したもので、毎年十月の半ばごろまでに獲れたりんごは、虫がついていないかを義父がよくチェックしたあと、地下の貯蔵室に運び入れられる。豊作の時は、年を越して、暦の上では春を告げるカーニバルの季節になる二月の半ばぐらいまで「自分家の」りんごが食べられる。
ケーキ用のりんごはそのまま食べるものと違って、かなり酸味があるのだけれど、これが大量のバターと砂糖と渾然一体となってオーブンで焼かれることによって、なんともいえないハーモニーが生まれる。仕上げにシナモンパウダーをぱっぱと振りかけて義母のりんごのケーキの完成だ。たまに生クリームのホイップが添えられることもある。その時は、余計なことは一切考えず、生クリームをたっぷりとこんもりと山のようにケーキの上にのせる。ドイツの生クリームは日本のものより脂肪分が低いので、カロリーのことはそんなに気にしなくても大丈夫。と思う。
今年は暖冬のせいか、いつもよりもひと月近く早くにルバーブが店先に出回り始めた。それを見かけた13歳になる娘が「ルバーブのケーキが食べたい」というのでこのところ少しケーキ作りに腰が軽くなった私はさっそくネットでレシピを探してみた。ルバーブのケーキにもいろいろと種類がたくさんあって迷ったが、なるべく義母の焼くケーキに似ていそうなものを選ぶ。バター100グラム、砂糖80グラム、卵2個と小麦粉180グラムを混ぜた底生地の上にバニラクリームをのせ、ルバーブ600グラムを小さく切ったものをぎっしりと並べ、さらにその上から100グラムの砂糖、150グラムのバターと200グラムの小麦粉で作ったクランブルをたっぷりとのせて焼く。ルバーブは毎年義母の庭にたくさん生えてくるので、それを夫に採ってきてもらう。なんといっても完全無農薬の採りたてルバーブだから、お店で買うのとは味が格段に違う。
結果からいうと、ルバーブケーキを型から外すのが早過ぎて、もののみごとに崩れ落ち、ケーキとしての体をほぼ残さないという惨事が発生したが、味のほうはなかなかで、娘からは「オーマのケーキみたい」という我が家では最上級の賛辞までもらえた。
コロナ休校でほぼ2ヶ月半近く家にいる娘は、友達にもまったく会えずくさっていてもよさそうなものだが、意外にこの、のんびりとしたおうち時間を楽しんで満喫している様子だ。そのおかげなのか、このところ身体だけではなく、精神的にもぐんぐんと成長しているみたいで、なんというか、ひょろひょろと長く伸びた手足を振り回しながらずいぶんと大人びた発言をする娘が、やたらにまぶしく見えて感動したりする。休校が始まってから11週間が過ぎて、私の頭のほうもそろそろおかしくなってきたのかもしれない。
ルバーブのケーキはいくら砂糖がたくさん入っていてもやっぱりかなり酸っぱいので、娘が小さかった頃はあまり食べなかったような気がする。それをこんなに美味しそうに食べるようになって、ずいぶん大きくなったなぁ、と思う。
そんな娘を見てうれしく感じる反面、ほんの少しだけ、胸をちくりと刺すような、説明しようのないさびしい気持ちにもなる。でも、うちにはまだ、ルバーブのケーキをちらりと一瞥しただけで、あとは頑なに味見すらしようとしない10歳男子がひとりいて、今までだったらそんな息子にため息をついてしまうところだが、なんだか心底ほっとしている自分に気がついた。