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「石垣りん」と「ピエール・ロチ」を知った日

2024年5月31日(金)・雨

このところ、まったく本を読んでいない。

「調べて」「書く」が生業なので、毎日毎日「資料」は読んでいる。資料の中に「本」もあるので、調べものとしての読書はしている。しかしこうした調べものは「本を読むために読書」ではない。「知る喜び」に興奮はするけれど、行間を味わって読むような「至福の時間」とは少し違う。

活字人間だと思っている。いつもそばに本があったし、あって良かったと心から思っている。しかし「自称・本好き」を返上しなくてはならない気持ちになるほど、最近本を読んでいない。

コロナ禍以降、電車に乗る時間がどんと減ったことも原因なのかもしれない。でもそれはただの言い訳。寝る前にSNSでニュースを見たり、動画をみたりはしているのだから。時間は作ればあるのに。単に読む時間が減っている。

そのことに気付き、そわそわした。本と生きていきたいし、生きてきたはずの自分を返上したくはないからだ。

慌てて本棚から長年「積読」だった1冊を手に取った。選んだわけではなく、適当に「積読コーナー」から1冊引き抜いた。

それがこの本だった。

お久しぶりです、北村薫氏。円紫シリーズは母が最初に発見し、自分が読んだものをロンドンに送ってくれていた。この1冊もそうだった。

ほんの数ページめくっただけで「本への愛」があふれ出す主人公の「私」と、「私」を作り出した北村薫の想いに圧倒される。雪崩のように情報がなだれ込んできて、口先だけ「本・愛」を語る薄っぺらい自分が恥ずかしくなる。

すこし読み進める。といってもまだ17ページ。

そこに「ピエール・ロチ」の名が出てきた。そして「石垣りん」の名が出てきた。

わたしはどちらも知らなかった。

 みさき書房に入った頃、石垣りんの『焔に手をかざして』を読んでいいたら、終戦直後、野菜や米の買出しに行った時の話が出て来た。取り締まりにあい、警察に連行された石垣さんは、調べを待つ間、文庫本の『お菊さん』を開いていた。岩波文庫だろう。すると《ピエル・ロチですね》といわれ、お米を召し上げられただけで、他のものは《みんな持たせて返してくれました》という。
 本が、取り締まる者と取り締まれる者の心を開いた。通い合う心を持つ同胞――と思わせたのだ。

北村薫『太宰治の辞書』創元推理文庫 17P

何だか熱い気持ちになり、すぐに「石垣りん」と「ピエール・ロチ」「お菊さん」を調べた。

石垣りんのことはもっと知りたいと思った。Wikipediaでみるかぎり、「ピエール・ロチ」はあまり好きではないかもしれない。「お菊さん」も「蝶々夫人」とか「金色夜叉」的な印象をもった。

でもなにより、この石垣りんの体験と、それを短い言葉でさらりとするどく書く北村薫の筆が刺さった。

ぐっさり刺さって、汗がでた。

これからも本のある人生を送らなくては、寂しい人生になってしまう。すんでのところでそうなるかもしれなかった。

昨日気付けて良かった。その意味だけで、昨日はとても良い日だった。

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