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「でも」「だって」「てゆーかー」ばかり言う人


働く女性の全国センター(ACW2)相談員トレーニング   第一回目を受講した。

アイスブレーク、ACW2の無料ホットラインと相談員トレーニングの目的を聞く。

ここに高いお金を払って参加した人は、既に他の団体で相談員をやっている人ばかりだった。男性もいた。

資格のために受講するわけでなく、「もっと人のためになりたい」と仕事が終わった夜に集う人たち。偉いなあ。

相談員トレーニングというから傾聴の方法などを教わるのかと思ったが、基本的な労働法クイズをした後は、とにかくロールプレイを繰り返して自分に気づきを与える内容。

二人一組になって「イベントを企画する」「その話を聞く」という設定。

1.   相手の言ったことをひたすら否定する。

「でも」「だって」「てゆーかー」などの言葉を言い続ける。

私はイベントを企画して提案する役。色々提案するが否定され続け、傷つき怒りを覚えてくる。最後は「あー、もういいよ!話にならない。もういい!」と言い放った。

もちろん演技だが、相手は私の迫力に圧されて黙ってしまった。

その場に漂う気まずい空気と、湧き上がる私の罪悪感。


「あ、これ、私が日常生活でいつも味わってるヤツだ!」と気づく。


⒉   相手の言ったことを肯定し、自分の考えを加える。

「それいいね!会費取る?」等。

聞いてもらってる私は、初めは嬉しかったが次第に違和感を覚える。

色んなアイディアが広がってくるが、「本当にそんなことできるのかな?」との考えがよぎる。

⒊   相手の言ったことに、アドバイスする。

「◯◯したほうが良いよ」等。

私は「そうかなあ?私の考えっておかしいのかなぁ?。でもこの人がそう言ってくれてるなら、そうなんだろうな。この人を傷付けないように納得したような態度を取らなくちゃ。納得してないけど。」とモヤモヤが残った。私の考えを否定されているように感じる。

4.   聞き手がひたすら「聴いて質問して」を繰り返す。

「うんうん」「そうですか」「それで?」等。

相手の話に関心を持つ。視線を向ける。それだけで「この人聴いてくれている!」と安心してスラスラ話せる。

これだ!これが一番求めていたものだ。

以上のロールプレイが終わったあと、講師から説明があった。

⒈の「でもー」「だってー」「てゆーかー」という絶対否定はダメ。

頭を使わないで否定することは、人格を否定すること。

鼻で笑ったり、視線を外したりすることも人格否定だ。

どんな価値基準が違う人でも、質問して聞いているだけで、共感して聴いてもらってると満足感を得る。

アドバイスしようと思ってはいけない。

良い質問である必要はない。自分で考えさせる機会を与える。

自分の考えを言語化させる。

本人が問題に気づき、解決方法を模索するのを助ける。


納得した。

私は山あり谷ありの人生で、さまざまなカウンセラーに助けを求めてきたが、自分で解決できるように導いてくれたカウンセラーは、この方法を実践していた。

とにかく聴いて質問するだけ。

しかしこちらの目を真っ直ぐに見つめ、真剣に受け止めてくれた。

私は取り留めもなくダラダラ話し続けていたが、自分の言葉の中に気づくことがあり、解決の糸口になった。

今でもその人を思い出すと、感謝と尊敬の気持ちで一杯になる。

もう一つ重要なことに気付いた。

私の周囲は(親族も含めて)「でもー」「だってー」「てゆーかー」と頭から全否定する人ばかりなのだ。

ママ友とランチで話していても、鼻で笑われたり、目配せされたり、無理矢理話題を変えられたりする。

自分たちの子どもの近未来を考えたり、ジェンダーに関する話をしている時だ。

どこか遠いところの話ではない。

考える事を放棄した人は、平気で人を傷付ける。
そんなとき私は怒りと悲しみで頭が一杯になってしまい、言わなくていいことまで言ってしまう。
そしていつも私だけ自己嫌悪に陥る。

あれは人格否定だったんだ。

だからあんなに悔しかったんだ。

私はいつも場の空気を乱してしまう。なんてダメな人間だろうと自分を責めていた。

しかし、私はいつも人格否定されていたのかと気づくとあの怒りは正当なものだったのではないか?

悪いのはナチュラルに人格否定する人なのではないか?と思えてきた。

そして今までの交友関係って必要だったのか?

と疑問を持つきっかけになった。











 

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