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【治療日記】抗がん剤1クール目〜3週間

このマガジンでは、わたしが46歳で卵巣がんに罹患した最初の診断から、その治療の様子をレポートしていきます。

私自身が入院中に得た情報で同じ病気に罹患した方の発信にとても助けられたので、同じような婦人科がんにかかった方やご家族の参考になればと思うのと、自身の記録のために書いていこうと思います。

* * *


■抗がん剤1クール目の当日。

金曜日。

拒否することも考えていたので、決めてからの数週間も、ものすごくナーバスだった。

治療を受けると決めてからも、自然療法に精通した方からのアドバイスもあり、わたしの心は揺れに揺れた。

・抗がん剤は絶対にやらないほうがいい
・抗がん剤で死ぬ人もいる
・海外で抗がん剤治療はほとんど選択されていない

そんな言葉もかけられたりした。

本当にこれでいいのか…?

薬も飲まずにどんな風邪や不調もこれまで直してきたわたしが、抗がん剤のような強い薬を体に入れるの…?

それで少し前から過敏性腸症候群のような症状になってしまった。

手術でリンパ郭清したため、その廃液に乳ビというのがまざって、その関係で13日間の絶食となって、その分入院も長引いた。

その絶食期間に胃腸の動きが鈍ったことも関係したのだと思う。

この投与前の数日間は胃腸の症状に悩まされた。

そして投与当日。

それでも、心だけは決めて、病院へ向かった。

わたしの場合は婦人科がんで一般的なTC療法という治療を行う。

パクリタキセルとカルボプラチンという2種の薬剤を投与。

3週間に1回の投与で、6クール続く。

主な副作用は吐き気、倦怠感、関節痛、手足の痺れ、口内炎、そして脱毛。

抗がん剤治療の流れは下記のとおり。

病院受付→採血→採血の結果を待つ間に問診票記入、体重、血圧測定→医師の診察→点滴投与(4時間程度)→会計→処方箋→終了

まず、採血。
この時、採血の結果によっては、投与ができないこともある。
骨髄抑制(白血球や血小板の数値が下がること)があると、一週間延期になることも。

初回投与の採血の時、採血室で座った時の看護師さんに「左と右どちらでとりますか?」と聞かれた。

「左にしたら、右で抗がん剤になりますか?」と聞くと、「そうゆうわけでもないですよ。」と。

治療中に右手を使いたかったので、念の為右の採血でお願いした。

「今日、抗がん剤の初日でとても緊張しています。」と看護師さんに伝えると、意外な言葉が。

「抗がん剤も昔と全然違うから、大丈夫ですよ。わたしも子供の頃に経験しました。」

「え?、そうなんですか?」

「子供の頃に小児がんで。」

とても聡明な雰囲気で、健康そうなきれいな看護師さんだったから驚いた。

そして、「大丈夫大丈夫」とニコニコして声をかけてくれた。

目を見ると、とても澄んで美しい瞳だった。

わたしはその時、一気に不安感やナーバスな気持ちが晴れた。

投与初日にこの看護師さんに採血をしてもらって、このような声をかけてもらったこと自体がギフトだと思った。

「終わったらまたこの人のように元気で働けるから、前向きに治療してきなさい。」という神様からのメッセージのような気がした。

おそらくこの看護師さんも自分が子供の頃にがんのような大変な病気をして、そこで感じたことや経験を元に看護師という職業を選択したんだろうな、と。

とても勇気が出た。

それで、採血結果に2時間くらいかかるのだけど、心穏やかに読書して待ち、久しぶりに主治医と面談。

「調子はどうですか?」と聞かれたので、「退院後は元気に過ごしていましたが、ここ数日、便が出たいのに出ないような、過敏性腸症候群のような症状が数日あって苦しいです。」と素直に伝えた。

「自分としては抗がん剤治療に対しての不安が強くて、、ストレスから来ていると思います。」と、付け加えた。

主治医はそれを聞いて、「初めてのことだし不安ですよね。」と気持ちに寄り添ってくれた後、便秘のお薬も色々あるから、追加で出しましょうと。

その時、主治医が後ろにいた助手の医師に「ア、から始まる便秘薬なんでしたっけ?」と聞いて助手が「先生、抜けてるわね」、みたいな雰囲気で即答すると、「ああそうだった。そうだった。」と言ってにこっと笑った。

そのやりとりにわたしも思わず主治医に笑顔を送った。

ナーバスなわたしに少しでも場の雰囲気を和らげてくれたんだと思う。

この女性の主治医の先生、いつも気持ちに寄り添ってくれるので、わたしはとても信頼している。

入院期間中にわたしは医療従事者の方へのリスペクトを心から感じた。

医師に至っては手術の立ち会い、入院中のケア、外来、その他、カンファレンスや学会などもある。

看護師さんに至っては患者の治療のケアや心理面でのケア、その他雑務などや夜勤なども含めて、本当に頭が下がる思い。

そんな経験の中で、私自身の価値観がこれまでの自分と変わったとも思う。

話はもどって、採血の結果も問題なく、1回目の投与となった。

化学療法室に行き、はじめての抗がん剤1回目。

ベットに座って、本やスマホ、イヤホン、昼食に持ってきたおにぎりなどを用意して準備万端。

あとは、手足の痺れ予防に足と手をアイスノンで冷やす。

抗がん剤が末端まで行かなくていいので、冷やすことで手足の痺れを回避するという予防処置のようなものらしい。

本を持ってきたけど、治療中は眠たくてウトウトした。

治療薬のパクリタキセルにはアルコールが入っていて、眠くなるらしい。

それで緊張の初回投与は無事終了。

会計の間に夫が迎えに来てくれて、処方箋も受け取る。

この日は普通に食欲あり、夫と定食屋で外食して帰った。

とにかく待ち時間がとても長いので、朝8時に来て、17時頃まで一日かかった。

■1回目投与の翌日(水素吸入)

土曜日。まだ元気。

食事もとれるし、体も動く。

この日は抗がん剤の副作用を和らげるために水素吸入が良いとネットのリサーチで知り、夫に運転してもらい、水素吸入を受けに行った。

水素吸入はネットで調べると、整骨院やデンタルクリニック、美容系のサロンなどでやっているところがある。

わたしは、抗がん剤副作用の緩和という目的だったので、できるだけサロンのようなところではなく、治療院がいいなと思って、ネットに抗がん剤副作用の緩和と書かれていた整骨院に電話予約し、行った。

治療費は1時間2〜3,000円くらいからある。

夕食も何とかとれた。

■1回目投与の2日目(吐き気に悶絶)

日曜日。
朝から夫と近くのスーパーまで散歩。

胃腸のために歩くことが大事。

午後から調子が悪かった。
胃腸の調子がもともと悪かったのもあって、吐き気止めを飲んでいるんだけど、吐き気が強い。

吐かないまでも、何度もえずく。

夫がそうめんを茹でてくれて、何とか少し食べれた。

この抗癌剤治療中、猛暑ということもあって、とにかくご飯のようなものより、麺やパンが食べやすかった。

冷やし中華とか、そば、そうめん、など。

普段食べ慣れていた玄米やお魚料理はあまり食べたくなかった。

夜、強い吐き気。

何をしていても辛い、横になれない。

この日は日曜日で夫がいてくれたけど、夫もはじめてのことで不安な中、わたしの付き添いで毎日大変。

夜、あまりに辛いのと、経験がなく先が見えないので、病院に行きたいと言ってしまった。

22時過ぎていたので、とりあえず寝ようとたしなめられた。

その後、ずっとYouTubeで同じ病気をした先人たちの様子や、西丸優子さんのInstagramで治療のストーリーズを追って見ていた。

大丈夫、みんな乗り越えてる。

先人の発信にとても励まされる。

■3日目(吐き気再び)

月曜日。
この日も副作用の吐き気が辛い。

便も出なくて余計なのかも。

ずっと横になっていた。

食事がとれなくて、1日くらい食べなくても平気と思っていたけど、夫が抗がん剤治療で食欲がない時でも食べれるもの、というのを調べてくれて、たまごサンドやウィダーインゼリー、ヨーグルト、果物、などを買ってきてくれた。

全然食べたくなかったけど、せっかく買ってきてくれたし、ということで小さく切ってくれたたまごサンドを口に運んだら美味しかった。

それで果物も食べれた。

■4日目(薬を出すために水を飲む)

火曜日。
少しだけ回復してきた感じ。

化学療法室の看護師さんの説明によると、抗がん剤は3日くらいで体内から抜けるとのこと。

その後も、副作用はあるんだけど、薬が抜けた感覚はけっこうわかる。

薬を早く抜くために水をどんどん飲むようにいわれるんだけど、水の味が変わる感覚がある。

投与数日は水が苦くて美味しくないんだけど、だんだん水が美味しくなってくる。

夜、冷やし中華が食べたくなって、夫にコンビニのやつ買ってきてもらった。

酢の味がすごく美味しかった!小さいやつ完食。

酢っぽいものが美味しい。

■5日目(料理した)


水曜日。
何となく回復してくる。

簡単だけど料理もした。

じゃがいもとわかめの味噌汁、みょうがを乗せた冷奴。きゅうりの塩もみ。

夫にはそれに焼き魚。

ご飯(お米)はあまり食べたくない感じ。。ごはんの炊ける匂いがダメ。

夫には冷凍していたご飯をチンしてだした。

夜はパソコン仕事できるくらい回復。

手足のピリピリした痺れを感じる。

夜、両親とLINEビデオ通話。

高齢の両親に、心配かけて申し訳ない気持ち。ごめんね。

■6日目(家事とカフェランチ)

木曜日。
洗濯物など家事ができる。

便がでずらいのは相変わらずで、とうとう浣腸した。

何とか!

この日は在宅ワークの夫と一緒にランチに出かけられた。

近くのカフェでタマゴとハム入りのクレープ食べた。

タマゴサンドがとても美味しい。

ハムは夫に食べてもらった。

時々、眼の前に貧血の時のような星がはしる。

目がチカチカ。

夜は、スーパーのお惣菜で食べられるものだけ食べた。

倦怠感と階段を登ると息苦しい感じがある。

■7日目〜14目(回復期:仕事、トレーニング)

回復!!
この期間は仕事もして、ウォーキングもした。

この期間にトレーニング復帰。

トレーナーさんと自分の身体とも相談して、軽いマシンからリハビリ的に。

身体を動かすと調子良い。

抗がん剤治療中に運動すると良いという情報も得ていたので、無理はしないけどできる時は取り入れる。

食欲も回復。

よく食べて、よく運動していたのと、胃腸のお薬も効いて、過敏性腸症候群のような症状も治ってしまった。

腹式呼吸法も取り入れて横隔膜の運動により、胃腸を動かした。

一番は自分の気持ちが固まって、ストレスが無くなったことが要因だと思ってる。

それくらい、身体と心は密接につながっている。

■15日目〜とうとう脱毛はじまる

ちょうど投与から10日目くらいから脱毛がはじまってきた。

手で髪をすくうとあきらかに抜ける。

最初は数本だったけど、一日増すごとに手に10本以上からむように。

貞子!!

夜お風呂でシャンプーすると排水溝に髪が溜まってホラー映画みたい。

ネットで流れないようにして、シャンプーの度にキャッチして捨てた。

もともと髪は短い方で、事前にベリーショートくらいにカットしていたので、短めではあったけど、それでも限界。

15日目、家中に髪が落ちるので、とうとうバリカンで剃ることに決めた。

ネットで3,000円くらいのバリカン入手。

夫もほぼ坊主なので、これからも使えるね、と。

ネットで先人たちの様子を見ていたので、抵抗はあまりなかった。

みんな勇気だしてやってた。

お風呂場で夫にやってもらった。

でも、わかってたはずだけど、いざ、髪を失ったら、とても悲しかった。

夫は淡々とそってくれたけど。

鏡を見ながら、一瞬泣きそうになった。

でも、全部そって坊主になったら、心はシャンと決まった。

「めちゃくちゃ、カッコいい」と、夫は言ってくれた。

わたしもそう思う。

夜、その頭で家にいたら、「野球部の少年がいる!」と姿を見る度に何度も夫が爆笑した。

なんかかわいいと。

わたしもつられて二人で爆笑した。

いい感じ(^^)

でも見慣れちゃえばなんてことないね。

少なくとも、ベリーショートまで髪が生えそろうのは来年の春くらいかな。

■好きなことと、わたしの価値観

映画研究室にいた学生時代に、大好きだったジーン・セバーグのようなベリーショートになったら帽子なしで颯爽と歩きたい。

そうだ、この期間には映画もたくさん観ようと思ってる。

仕事でもお世話になってる大学の研究室の先輩がこうゆう時は映画たくさん観るといいよと励ましてくれた。

フランス映画もゆっくり観られる。

ゴダールの「勝手にしやがれ」も観なくちゃ。

金髪の前髪ウィッグを入手して、帽子と合わせてオシャレしたい。

今は、そんなクリエイター魂を宿す時期、と静かに、モーレツに自分の魂が燃えているのを感じる。

人は、人生のタスクと折り合いをつけながら、その中で道をコツコツと作りながら、その人の本当にやりたいことをやる、それが人生で一番大事。

人と比べない、自分の足で立つ、他人の挙動の中に自分を見つけるのを辞めて、自分をみて、自分を信じること。

価値観のまるで違う人たちとも交差するこの人生で、わたしも、あなたも。




























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アサクラ トモコ
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