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BGMが鳴り響く頭の中

何かをしてても、考えていても、全く関係のない「音」が頭の中で聞こえている。
それは、音楽だったり考えだったりするのだけれど、全く同時進行で、びっくりするくらい自然に流れている。
とはいえ、そちらに気をとられ過ぎることなく、「本流」である活動を進められているので、まさに「BGM」って感じだ。

この状態がデフォルト過ぎて、気にも留めていなかった。
気にしてしまうと、「今に集中できていない」とネガティブな思いがムクムクとわいてくる。
頭の中でぐるぐる回っている思考にエネルギーを吸い取られて疲れてしまう。
そんな頭の中、考えをなんとかしたいと思って手に取った本が「Chatter(チャッター)」

買ってからしばらく放置してしまったけれど、読み始めたら面白くて一気読みしてしまった。

チャッターとは、頭の中のしゃべり声のことで、特に「循環するネガティブな感情と思考」のことを指している。
頭の中の考え(内なる声)があるのは自然なことで、思考が過去や未来に浮遊するのも人間のデフォルトなのだ。しかし、その「内なる声」が暴れだし、内なる批判者として猛威を振るいだすと手が付けられなくって「チャッター」となる。
チャッターが、自分の思考と行動を思い通りに操縦する能力の基盤である「実行機能」の容量を圧迫してしまうことで、社会生活にも影響が出てしまう。そのため、この「チャッター」をうまくコントロールすることが必要で、その方法について書かれているのが本書なのだ。

対処法については、それぞれ自分に合ったツールボックスを持つべきと述べられている。ただ、勝手にどうぞではなく、役に立つツールを「自分だけで実践できるツール」「他者に関わるツール」「環境に関わるツール」に分類して紹介されている。お役立ち情報だ。

その中で、印象に残ったものを書いておく。

「距離を置く」
これは、心の声にズームインしすぎる「埋没者」の視点から、ズームアウトする「傍観者」の視点から問題を捉えることが有効だということ。つまり、自分を俯瞰してみる「俯瞰力」のことなのだけれど、単に「眺めること」が目的ではなくて、「関わること」が大事なのだと書かれていたのが印象的だった。
そのためには、自分に対して「わたし」の一人称ではなく、「名前」「「二人称」「三人称」を用いて、他人のように自分に語り掛けることも有効だと書かれている。これなら、すぐにできる。

「感情的な欲求」と「認知的な欲求」
他人に「話す」ことの有効性はあるけれど、「話して癒す」は一部分でしかない。辛いときに、まずは「感情的な欲求」の充足を求めるので、話をしたいし、聞いてもらいたい。聞いてもらって楽になるのはこの部分だ。
しかし、「チャッター」に対処するうえで、解決しなければならない課題に直面する。ただ話を聞くだけでは、「認知的欲求」が満たされないと問題解決にならない。
さらに、「感情」やネガティブな側面にフォーカスして聞き続けることで「共同反芻」によってさらに苦しむことになる。
この感じは実感としてうなずける。よく「カタルシス」と言うけれど、なんとなく、毎回同じ「ネガティブ体験」を話し続けることや聞き続けることが良くないなと思っている。そうは言っても、遮れなかったり、ある程度は聞かざるを得ない状況もある。意図的に「ずらす」とか「フォーカスを変える」作戦で乗り切ってきたことを思い出し、それで良かったんだなと肯定できて力が抜けた。

私自身、「チャッター」に悩まされる人生を送ってきたけれど、ビリーフリセットに出会い「俯瞰力」を身に着けたことが、自分の「ツールボックス」に入っているのかなと改めて捉えなおすことができた。
ふむふむ、「あなたの頭の中のひとりごとを整理するお手伝いができます」というキャッチフレーズが使えそうだ。


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