空と水平線が溶け合う場所で。十勝・湧洞沼
北海道のあちらこちらから初雪の便りが届き始めた頃、車に乗り込み旅に出た。目的地のない、ただの逃避行。心底、疲れていたのだと思う。何もかも嫌になると、いつも地元を離れたくなる。わたしの悪いくせだ。
ハンドルを握り、向かった先は十勝。広がる畑、遠くにかすむ日高の山々。道はどこまでも続いているように見えた。
このとき、ふと思い出した場所があった。豊頃(とよころ)町にある湧洞沼(ゆうどうぬま)。どこかのブログで見た景色が頭をよぎった。
沼につながる主要路は道道のみ。冬になれば閉ざされるという一本道を進むと、左手には太平洋が広がり、右手には静かな湖面が姿を見せた。道はやがて突然終わる。
ここは、海と沼を隔てる細い砂州(さす)の上。遮るものは何もない。広大な空と水平線が溶け合う風景だけがあった。
湧洞沼は、海の一部が外海と隔てられてできた潟湖(せきこ)の一つ。環境省の「日本の重要湿地500」に名を連ねている。時季になるとエゾカンゾウが咲き誇り、渡り鳥たちが湖面をにぎわせるらしいが、11月の景色にはどちらの姿もなかった。
夕暮れが迫る午後4時半。薄暗い空にはすでに月が浮かんでいる。人の気配はない。風が砂州を渡り、波の音が聞こえるばかり。この世の果てのように感じられた。
その静けさは不気味でありながらも、妙な安どを覚えた。目の前の湖面は何も語らず、振り返れば太平洋の大海原。その圧倒的な広さの中で、自分の存在がちっぽけに思えた。
沼は周囲約19キロあり、十勝の海岸線にある湖沼ではもっとも大きいという。それでも、目の前に広がる景色はただの静寂でしかなかった。広さを感じ取る余裕すら、当時の自分にはなかったのだろう。
どうしようもないとき、人はどうするのだろう。せめて、目の前の景色に心を重ねようとするのだろうか。答えは出せずじまい。この日は浦幌まで出て、地元で人気というレストランで夕食を済ませ、釧路に泊まった。
旅に出ても何かが変わると思っていたわけではない。ただ、少しでも心が軽くなることを願っていたのだと思う。気持ちに整理がついたのかといえば、よく分からない。
それでも、5年が経った今も、こうして生きている。どうにかなるもんだとつくづく思う。人は変わり続けても、景色は変わらずそこにある。それだけで、十分なのかもしれない。
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