【読書記録より】前提って大事
あちこちで見かけた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んでみました。もちろん「働いていてもずっと本は読んできましたが?」と疑問を持ちつつ、です。
著者は、「本好き→文学部」で本を読み続けるにはお金が要るからと就職活動して働き始めたものの、あるとき本を読んでいないことに気づいたそうです。ただ、時間がなかったわけではなく、その時間はスマホやyou tubeを見るのに費やしていた、と。
一方のワタクシは、「本好き→文芸部&図書委員→非文学部なのに卒論がアガサクリスティ」を経て、就職しても通勤時間には本を読み、家での隙間時間にも本を読んでいました。駅のホームでいつも立ったまま本を読んでいるのを同じ事業部の人が見ていて、飲み会で初めて話した時に「いつも何の本を読んでるの?」と聞かれたこともあります。
荷物も多い方なのに、平気でハードカバーの単行本や厚いペーパーバックも持ち歩き、少しでも時間があるとすかさず読んでいます。今は、そんな時間はスマホをいじる人が多いですよね。
明治から現代までの、読書とサラリーマンを取り巻く環境についての考察は面白かったです。その変遷を経て現代までいくと……?
う~ん、労働だけのせいだろうか。私はそんな感想でした。
統計を見ても思うのは、書籍は買うばかりではないということです。心理系の本は買っていますが、置く場所もお金もないので図書館もよく利用します。本だけでなく、モノが売れなくなったと言われていた時にはフリマアプリで中古品がたくさん動いていました。
労働に関する提案は、わからなくはないです。労働基準法で1日8時間、週40時間とされているし、それが「正規」でそれ以外は「非正規」としている政府をまず変えましょうよ。労働の多様性やワークライフバランスはそれからかな。
この本を読んでいて思い出したのが『高学歴難民』です。
確かに、高学歴なのに仕事や生活に恵まれなかったような人が取り上げられていますが、わりと環境が特殊だったり「親がおかしいよね」だったり、「本人も問題では…」だったり。
「高学歴だから難民になった」の前提が疑問のまま進み、「不運だったでしょうが、学歴のせい?」と疑問に思いました。高学歴でないからでしょうか。
高学歴がコンプレックスになっている人は知っています。でも、ここで言う難民ではない ── となるとその差は何でしょう?その調査や考察があると面白いですね。