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「型にはめる文化」の限界

今朝は、体癖論の中から大変好みの学びが見つかり、生きててよかったと思った朝でした。

感情の中の思考、
そしてその思考の中の感情。

定義付けが出来ない人の心。
学問に収まらない人の心。
魅力的だなぁと思いませんか?


例えば、、

楽しいから笑うのか?
笑うから楽しいのか?

あなたはどっちだと思いますか?

どちらもあるなぁと思うけど、
楽しいから笑う方が好きです。
だけど時に落ち込んだりしたときは、笑ううちに楽しくなったという経験だってみんなありますよね。

似たような話で、

アメリカ人は感謝をしてからお礼をする。
日本人はお礼をしてから感謝する。

というのを聞いたことがあります。

日本人らしいなぁ。
形から入る。
字を美しく書く文化とかイギリスにはないです。

もちろん全くないわけではないけれど、
習字や書き方のような文化はないです。
字が綺麗だと褒められる、ということもないです。
日本だと人の字を見ますよね。
しかも綺麗か否か、となる。

武道でも茶道でも礼儀とか型とか。
礼儀とは上下の関係だし、教わる心があるのか、
誠意があるのか、清いのか、習う姿勢があるのか、
学ぶ前から条件盛りだくさんですね。

私も小学生の頃に、面倒な宿題を早く終わらせたくて、一歳上の姉にサクッと答えを教えてもらおうと姉の部屋に行きました。

「姉ちゃん教えてー」
そんな私の甘えに容赦なく姉は、

「誠意が見えない!」
と、ピシャリ。

正義感の塊のような姉は、小学生のうちから弁護士になると言うような人でしたから、真反対なサクッとやっていこうぜ、なタイプの私を鍛え直そうとしたようです。

「形にこだわる日本人」

(心がないのに形も何もないでしょう、というのが私の考えなので(笑)、なるほど、だから日本に住んでいないわけだ^ ^)


話は戻り、、

日本の美意識の高さにはそんな独特の文化がベースにあるからなんでしょうけど、それが教育にも大いに反映されているように感じます。

100年くらい前に書かれたイギリスのサマーヒルの創立者のニイルの本(堀先生訳)が好きで読むんですが、イギリスや海外の場合は、「宗教」(と「不幸な親」)によって子供の心が捻じ曲げられるとあります。

日本で言うなら、「上下文化」と「形を重んじる文化」。

どちらも「親」の立場に立つ人間が問題の火種となっているように見えます。

結局はそこなのかなぁ。

導く側の人間性、、、

「親」とか、親でなくとも「教える立場」に関する教科が出来てもいいくらい、人の文化や営みそのものに影響を及ぼすものではないでしょうか。

「型にはめる文化」に耐えられなくなった健全な結果が、20万人にもおよぶ小中高生の不登校、なのではないかと思えてなりません。(型にはめる文化は横の繋がりにも影響を及ぼし、型にハマらない子供はいじめの対象となる)


私はまず身近なところで、我が子や英語レッスンの生徒たちと、小学生や中学生のうちから話し合いたいと思います、

「どうやって人を導くのか?」
「どうやって人を受け入れるのか?」
「どうやって共に歩むのか?」

答えじゃなく、話し合ってアイディアを交わしたい。
教わる立場にある彼らこそ、
本当の答えを持っているんだと思います。

そしてその意見を大人がどこまで有効的に実践と経過観察を繰り返すパターンに落とし込めるのか。

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今夜、私がうちの小さい人たち(いわゆる我が子です)と話し合った内容も書き留めたかったのですが、長くなったのでまたそのうち。

Honey xx

あがらわらはなえにあなたの勇気をチョイだけ分けてください♡