見出し画像

当たり障りない、という障り

当たり障りないことを言うと
自分に正直に話しているのかどうか曖昧になる。

当たり障りないことを言うと
そこに共感する人は少ない。

それは誰しもが持っている感覚であり
呼吸するのと同じように体から
流出していくからである。

そんな自分からも出るものを
出してる人を見ても
特に何とも思わないのだ。

逆に誰にも共感されないようなことを言うと
そこに共感してくれる人が出てくる
と言う矛盾が生じる。

つまりは
当たり障りない方が
実は障ってる可能性が高いということ。

実は私は表には出さないけども
当たり障りあるような事を思ってるんです。
といった風に。
外と中での矛盾がそこにある。

結局人間なんて言うものは
当たり障りのないことに共感するよりも
誰にも共感されないようなことを
共感する能力の方がたけている。

自分がオンリーワンであり
それを理解、共感できる人も
同じくオンリーワンであって欲しいと思う。

プライドが高いとか
高慢だとかいうような人の方が
当たり障りないことばかり言う人よりも
私は好きだ。


誰彼からも共感を得るようなことを
言う人より誰にも共感されないようなことを言う
そうすることによって
そこに生じる矛盾を
暴き出してくれる人と
会話をするのが好きだ

私に同調することもなく
ただ自分の意見を言ってくる人と
話をするのが好きだ

最近そんなことが
めっきり減ったように思う
私は人のことを受け止めるだけに
存在している人間ではない

誰かを癒したり誰かを受け止めたり
誰かの役に立つそんな高尚な人間でもない。

ただ毎日自分の使命をこなし
肉体の終わりへ少しつづ進むだけ。
それが途方もなく楽しいんだから
それでいいじゃないか。

とにかく私は
当たり障りないことよりも
当たり障りある
真っ直ぐな人が好きだ。

そして、自分もそうなりたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?