芥川龍之介への手紙
そもそも、道徳というものを根底から疑っていました。
この一文からはじまる「芥川龍之介への手紙」。又吉直樹さん著「火花」の文庫版に掲載されているエッセイだ。
「火花」は発売されたときに購入したのでハードカバーが手元にあったのだが、のちに文庫化されたとき、この9ページにわたるエッセイが読みたくて再び購入した。
読んで、最後の5行でぜんぶ持っていかれた。
道徳とは「左側通行」と似たようなものである
小さい頃から、欲が少なく従順だった。
ルールがあればそれに従い、教室という狭い空間からはみ出さないように、はぐれものにならないように、上手くやれるこどもだった。
人並みの正義感はあったし、善と悪の区別もついていたはず。だけど、道徳というものには理解ができずに苦しんだ。
みんなが平等なら、どうしてわたしは運動神経がないんだろう。習字を習っているのに、どうして字がうまくならないんだろう。どうしてみんな同じでなければいけないのだろうか。
世の中にはどうしようもない不条理だってあるのに、自分の力じゃ変えられないものもあるのに、みんな仲良くしよう、平等な世界を目指そうだなんて。
道徳は、多くの人が事故を起こさないために必要なルールのようなもの
そう思って生きてきたから、又吉さんや芥川龍之介が言っているこの言葉を聞いて、あぁそうか、難しく考えすぎていたのだなと気付く。なるほど、道徳はルールみたいなものか。
自分のできないことや苦手なことで世の中のバランスがとれていて、大きな事故が起きないようになっている。そう考えたら、できないことに、どうしようもないことに、くよくよしていても仕方ないなと思うようになった。
又吉さんも言っているが、
あらゆる価値基準は疑っていい
ものであって、「そうでなければならない」と押しつけるものではない。人の価値基準を否定しないのがルールであって、道徳である。
線香花火
「線香花火」とは、又吉さんが「ピース」結成前に組んでいたコンビの名前だ。
線香花火のような、小さな一瞬の輝きにこそ永遠は宿るのではないか、或いは、そのような小さな輝きを連続で起こし続けることが最善なのではないか
そんな理由から決まったコンビ名。当時の相方には「どうでもいい」と言われ、先輩たちからは「縁起の悪い名前を付けるな」と叱られた。
線香花火というと、短く儚いもの、すぐ終わるものの例えに使われることが多いため、たしかにコンビ名として付けると良い印象は与えない。
しかし、又吉さん本人も言うように、
古くから現在まで手持ち花火の王道であり、全体で見ると勢いは絶えていない
ので、これまた良いネーミングセンスだったな、とわたしは思う。
線香花火の玉が落ちる、あの瞬間にどれほど人が集中するか。どれだけの熱量を持ってそれを見つめるのか。たった数秒の輝きを求める人が今も絶えない。そこにこそ本質がある、ということだろう。
芥川龍之介へのラブレター
文庫版「火花」に収録されている「芥川龍之介への手紙」は、いわば又吉直樹から芥川龍之介へのラブレターである。
自身が芥川龍之介の言葉にどれほど影響を受けたかをエピソードを交えて書きしるし、芥川賞受賞の喜びをすこしだけ語る。
そんな又吉さんの人柄が惜しみなく表れているのが最後の5行。
受賞会見の時、「あなたは僕のような髪型は嫌いだと思います」というようなことを言いましたが、
そんなフレーズから始まるこの5行が、わたしは大好きだ。
又吉さんらしい、あの落ち着いた口調の関西弁で、ゆっくり語られているのが目に浮かぶ。
あぁ、この人は本当に芥川龍之介が好きなんだ。
そう思うほど愛にあふれたこの5行を、みなさんにも知ってもらいたいなと思って、ここに筆をしたためました。
どうぞご自身のタイミングで、その愛にふれてみてください。
そんな又吉さんに、ほんのちょっぴり恋心を抱いた話は、また別の機会に。
▼2017年に書いた、つたない読書感想文もあります