金閣寺を読む 第七章 花子出版
こんにちは。
年の瀬に向かって猛進していますね。早いものです。私は一月一日の元日が誕生日ですので、日に日に三十四歳が減っていくのを感じております。頗る元気ではありますが。
三島由紀夫先生の本、また三島由紀夫先生について書かれた本は沢山あります。新書がありませんので、中古を探す必要があります。便利な世の中で、フリマサイトにも沢山出回ってますので、少しずつ収集したいと考えております。
では、第七章が始まります。
梗概
溝口は女への二度目の挫折があったからといって、引込思案になったわけではない。昭和二十三年の年の暮までは、幾度かそのような機会があり、柏木の手引もあり、怯まずにことにあたった。しかし、結果は同じだ。溝口と女の間には金閣寺が立ちあらわれた。
昭和二十四年の正月のことだ。溝口は映画鑑賞のあとに新京極を独りで歩いていた。すると雑沓の中で金閣寺の老師を見かけた。老師は上等な外套とマフラーを巻き、芸妓と思われる女を連れていた。溝口後をつける。
女は停められたハイヤーに乗り込み、老師もあとに続こうとした。その時、老師が溝口のほうに注意して、そこに立ち竦んだ。溝口は動顚し言葉がでない。声を発しないうちから、吃音が口の中で煮立っている。とうとう、彼は思いがけない表情をつくった。老師に向かって笑いかけた。
老師は顔色を変え、
「馬鹿者! わしを追跡ける気か」
と叱咤し、ハイヤーに乗り込み走り去った。
明る日、溝口は老師が叱責のために呼び出してくれるのを待った。しかし、それはなかった。よって、娼婦を踏んだ事件の時と同様に、老師からの無言んの放任による拷問がはじまった。目の前をうるさく飛びまわる蛾の影のようになった。
拷問に耐えかねた溝口は行動に動く。老師の憎悪の顔をはっきりつかみたいという、抜きがたい欲求の虜になったのだ。柏木に相談し、祇園の名妓の写真を手に入れ、老師が読む新聞に忍ばせた。
登校前の溝口は、胸が高鳴る。老師から許されるかも知れない。また、大喝されるかも知れない。
が、寺は平静に包まれて何も起こらなかった。溝口は憔悴した。
翌日、溝口が学校から帰り、何気なしに机の抽斗をあけると白い紙に包まれた名妓の写真があった。老師はこのような方法で結着をつけたつもりらしい。
老師も苦しんだに違いない、と溝口は思い、得体のしれない喜びが迸った。そして、写真を細かく切り刻み、ノートの丈夫な紙で包み、握りしめて金閣寺に走った。
金閣寺は風のさわぐ月の夜空の下に、いつにかわらぬ暗鬱な均衡を湛えて聳えていた。
その年の十一月、溝口は出奔する。出奔する前日、老師は成績不振の溝口を叱責し、
「お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたこともあったが、今ははっきりそういう気持ちがないと言うて置く」
と言葉を残した。
これまで溝口は学校を欠席し、殆どの時間を独りで何もせずに無為に過ごしていたのだ。
出奔には金がいる。溝口は柏木に導かれるまま、骨董屋に行き尺八を売り、古本屋で事典を売った。更に金を仮に柏木の下宿へゆく。すると、柏木は奇妙な提案をする。
事典と尺八は元来柏木に帰属したものだから、それを売った金と貸した金の合計を、返済するまで毎月一割貰いたいとのこと。
溝口は未来を考えることに嫌気し、すぐに押印した。
溝口は建勲神社へ行き、これからの行き先を占う。結果は、旅行は凶で、殊に西北がわるし、と出た。その結果をみて、溝口は西北に向かうと誓った。それは、中学時代に一度訪れた地方だった。早朝、学生服に着替えて金閣を出発。電車に乗り、病んだ溝口の父と見た景色の群青の保津峡に沿って走り抜ける。
溝口は客車で死者に思いを馳せる。父、有為子、鶴川。死者をしか人間として愛することができないのかと疑われた。死者たちは生者に比べて、何と
愛され易い姿をしていることか!
客車で、公共団体に寄付させるべき人々の論評をしている人の声が聞こえた。その中で金閣寺や銀閣寺の名がたびたび出てくる。
金閣寺の収入は莫大だ。それでもって禅家の質素な生活で光熱費は安い。小僧たちには冷飯を食わせ、和尚一人が毎晩祇園へ出掛けて使っている。更には税金がかからない。治外法権も同然だ。
溝口は舞鶴湾についた。きらめく湾内には艦隊が碇泊している。街はすべて変わっていた。英語の交通標識があり、多くの米兵がいた。
溝口は歩き波打ち際に立った。海は正しく、裏日本の海だった! 溝口のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、彼のあらゆる醜さと力の源泉だ。
柏木の言葉を思い出す。
『われわれが突如として残虐になるのは、うららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木洩れ陽の戯れているのをぼんやり眺めているような、そういった瞬間だ』
と。
突然に溝口にうかんできた想念があった。柏原が言うように、残虐な想念だと云おうか? とまれこの想念は、突如として私の裡に生れ、先程からひらめいていた意味を啓示し、あかあかと私の内部を照らし出した。まだ彼はそれを深く考えてもみず、光に搏たれたように、その想念に搏たれているにすぎなかった。しかし今までついぞ思いもしなかかったこの考えは、生れると同時に、忽ち力を増し、巨きさを増した。むしと彼がそれに包まれた。その想念とは、こうであった。
『金閣を焼かねばならぬ』
以上梗概。
以下、私の読書感想。
この章です。この章が、私の人生に大きな閃光を齎した章なのです。性善説が誓い、田舎で育った私は、どことなく主人公の溝口に照らし合わせていたのかも知れません。ですが、性善説なんて絵に書いた餅であり、世界では犯罪が蔓延り、欲望を塗りたくった人間が溢れています。そんな中でも、私は人間に多少の期待を持っていました。きっと嘘だろう。性善説を信じる人間たちが、ちょっと魔が刺しているのだろう、と。
こうやって、文豪の言葉を目で追い、言霊として命に刻まれますと、利己的で性悪説が波及してゆく世界が、この世には存在するんだと、明確な理解に至ったわけであります。
老師が芸妓の若い女と一緒にハイヤーに乗り込むシーンは、何度も読み返しました。こんな禁忌を書いてもいいのだろうか!!!???
芸術作品ですから、咎められることはないのでしょうね。
では第八章で、お会いしましょう!!!
花子出版 倉岡剛