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こんにちは。
連休が終盤となりました。土日祝が休みではない、僕はせっせと働いているのですが、文章を書きたいと思います。
文章を書きますと、推敲や改稿というものができます。しかし、日常会話では口に出した言葉を葬ることはできません。『口は災いの元』とよくいったものです。
話しが上手な人がいます。理路整然と筋道を立て、聞きやすく理解もしやすい。僕は話しがあまり得意ではありませんので、話しが上手な人からご教授を願いたいところです。
さて、「大丈夫」という言葉があります。
これは不思議な言葉で、多用できる言葉です。辞書には
・あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。
・ まちがいがなくて確かなさま。
と、記載されています。
「くしゃみをされてますが体調がすぐれないのでしょうか?」
「大丈夫です。花粉症です」
「それはお辛いでしょう」
上記会話では、くしゃみをしている人が健康であるとわかります。辞書通りですね。
「ご飯のおかわりは?」
「大丈夫」
シチュエーションこそ違えど、頻繁に耳にする会話ではないでしょうか? 僕も断る時に、『大丈夫です』と言うことが多々あります。断るのに『大丈夫』と言うとは奇妙ですね。
日本特有の文化だろうと思い、又外国の人はこの奇妙な言葉をどうやって理解しているのだろうかと思い、職場の外国の人に尋ねました。
すると、外国でも同じような言い回しがあるとのこと。断る際に『it's OK』 を使う場面があると。
『OK』は日本語的には『了承』ですが、これを断る時につかうとは、『大丈夫』を断る時に使う日本と似ていますねえ。奇妙でもなんでもなく、『大丈夫』は比較的に理解し易い言葉だとか。
僕は近代日本文学を読むことが多いのですが、その中で『大丈夫』が使われいる会話を目にしたことが殆どないように記憶しています。文章だと『大丈夫』の意味が伝わり辛いから作者が避けていたのか、それとも当時に『大丈夫』の言葉を使わなかったのか。
思いますに、『大丈夫』との言葉を使っていなかったような気がします。何故なら、僕が小学生時の個人的な経験に基づきます。
「嘘〜?」
と言って、祖父に何度も叱られたことがあったのです。この「嘘〜?」は、物事に疑いを見せる「嘘〜?」ではなく、事実を喜ぶために言っている「嘘〜?」になります。
「おもちゃを買ってきたよ」
「嘘〜?」
このように、喜びのあまり、事実を事実と受け入れない気持ちを「嘘〜?」と言っていました。現在でも使われることがありますね。事実と分かっていたとしても、過大に表現するために「嘘〜?」と言ってみたり。
しかし、祖父はこれが不服だったようです。嘘ではない真実に、「嘘〜?」と言うのは何事かと。
祖父はシベリア抑留経験した大正生まれの人で、その祖父の叱責は今でも記憶にあります。もし、「嘘〜?」が日常会話で常に使用される言葉なら、祖父が叱責することはなかったことでしょう。しかし、祖父が育った環境の中ではなかった可能性が高いのです。
とするなら、『大丈夫』の言葉ですら以前の日本にはなく、もしかすると明治維新後の西洋文化の輸入に伴い、『it's OK』の言葉が入り、日本語が変化した可能性もあります。これは、推測と個人的な妄想でしかありませんが・・・。
言葉について考える今日この頃。
タイムマシーンがあれば直ぐに答えが分かるのですが、書籍から読み解くしかありません。それもいいでしょう。
花子出版 倉岡
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