金閣寺を読む 第五章 花子出版
こんにちは。
読み込むほど不朽の名作は艶を帯びていきます。
本来、人間や動植物や形あるものは総じて劣化してゆくはずですが、読継がれる不朽の名作だけは違います。時を超えて色艶が増してゆきます。最近、三島由紀夫先生が若者でも話題との嬉しい限りです。
さて、第五章が始まります!!
梗概
吃音症の溝口と内翻足の柏木の目に入った女は、グラウンドの地面より二尺ほど低い側道を歩いていた。溝口は驚く。柏木が説明いた「内翻足好き」な女の人相にそっくりだったのだ。
女に沿って、溝口と柏木は並行に歩く。そして、柏木の教唆によって、溝口は女が歩く二尺ほど低い側道に飛び降りた。続いて柏木も飛び降りようと試みるも、内翻足のために怖しい音をたてて溝口の傍に崩れ落ちた。
女は立ちすくむ。溝口は一瞬だけ、女の冷たく低い鼻や潤んだ瞳から彼氏と自殺した有為子の面影を想起するも、幻想は消えた。女は蔑む眼差しを二人に見せた。女の気配に敏感だった柏木は叫ぶ。
「薄情者! 俺を置いてゆくのか。君のためにこんなざまになったんだぞ!」
女は震えた。
女のスペイン風の洋館の耳門まで柏木を擁して運び、溝口駆けて電車に飛び乗る。電車は金閣寺に向かって走り出す。平日だったが、金閣を目指す電車は混雑している。溝口は柏木に思いを馳せ、
『私の人生が柏木のようなものだったら、どうかお護り下さい。私にはとても耐えきれそうにもないから』
と祈った。そして、次のようにも考える。柏木は本能と理智とを同じ程度に蔑んでいた。奇怪な形をした鞠のように、彼の存在そのものがころげまわり、現実の壁を破ろうとしていた。それは一つの行為ですらなかった。要するに彼の暗示した人生とは、未知の仮装でもってわれわれをあざむいている事実をうち破り、再びいささかも未知を含まぬように世界を清掃するための、危険な茶番だったのである。
翌日、溝口は柏木が登校するかの可否が気がかりだったが、柏木は何事もなかったかのように来ていた。溝口が怪我の心配すると、柏木は演技だと答える。女の気を引きための演技だと。そして、女は内翻足に惚れかかっている、とも言った。
溝口と柏木のやりとりを見ていた鶴川は、好意的にとらえない。しかし、この友情に充ちた忠告が、溝口にとってはうるさく感じられた。
五月、溝口と柏木、そして柏木を介抱した洋館の令嬢と、下宿の女の四人で嵐山に向かった。美しい洋館の令嬢と見劣りする小太りの下宿の女だ。柏木の怪我をしてみせた演技は成功したのだ。
嵐山につき、小督局の墓を詣でる。それから嵐山を見て回った。すると、柏木が身を屈して、脛を押さえて呻き出す。溝口が介抱しようとすると、彼の手を押し退け、冷笑的な目をむける。
柏木はさらに呻く。今度は令嬢が介抱し、脛に接吻をした。溝口は恐怖に搏たれ、柏木が老婆と行為に及んだ話を想起した。
柏木が仕向け、柏木と令嬢、溝口と下宿の女の二組に別れ、別々に行動することになる。溝口は下宿の女を欲望の対象と考えることから遁れようと勤しむ。二人だけの世界を好機と捉え、前進するための関門と考えるべきだろうが、吃りで阻まれた百千の屈辱が思い出されたのだ。
そして、その時溝口の中に、威厳にみちた、憂鬱な繊細な建設の金閣が現れた。金閣の峻厳さによって、下宿の女の存在は塵のように飛び去り、女と関係を結び前進するという未来も飛び去った。
遊山後、溝口に電報が届いた。交通事故で鶴川が死んだのだった。
溝口の孤独が再びはじまる。下宿女とは会わず、柏木とも以前のように付き合うことはなかった。
以上梗概。
以下、私の読書感想。
内翻足の柏木が荒れ狂う章であります。彼の異性の口説き方は、昨今の草食男子と吹聴される男は見習う必要があると思います・・・。、そんな下賤な話ではないのですが、少々失礼しました。
溝口が下宿女と二人となり抱く欲望と感情、そして並行して現れる金閣寺の描写は秀逸です。確かに、私たちの中には往々にして美学が存在しています。その美学のフィルターを通して、世界を篩にかけているものです。
それが、溝口は金閣寺であります。
鶴川の死は、唐突過ぎました。ですが、人の死はいつくるか分かりません。事故に遭うかもしれませんし、事件に巻き込まれるかもしれません。これはれっきとした事実です。安穏と生活していると、生が永遠であると錯覚を覚えてしまします。「生」の事実と、「生」への感謝も小説から学ぶ必要がありますね。
では第六章で、お会いしましょう!!!
もう、後半戦が始まっていますよ。
花子出版 倉岡剛