子供たちの屍
「最期は君の世代か。僕の世代は、何も変える事が出来なかった」
2023年6月。
剱さんから言われた言葉だ。
中学三年の11月。
学校の昇降口前で、忍び寄る冬の風に身を震わせながら、箒で落ち葉を集めていた時間、ふっと彼は生まれたらしい。
その日から、彼はこの身体と人生を共にしてきた。
とはいっても、彼の役目は『彼女』が「やりたいけどしてはいけない」と思っている事をすることだった。
理不尽にも、剱さんは望まれたことをすればするほど、彼女から疎まれていった。
生まれて間もなく心の奥底に押し込められ、望まれて生まれたにも関わらず、幽閉されることになる。
必要悪として始まった人生、剱さんはそのような扱いが15年続いても、そこまで悲観することはなかったらしい。
その扱いこそが、彼女に必要とされる、ということだったから。
ヴィラン
演技がかった口調と、演者のような役のこなし方。
その全てが鼻につく、嫌いだと、彼女は剱さんを嫌った。
彼女に与する人格達も、彼を嫌った。
そうすることで「自分は大丈夫」「自分はあんな痛い奴じゃない」と思い込もうとしていたのだろうと思う。
彼女の言葉で言うなら「臭い」ということになるだろう。
彼女が最も嫌いな言葉で剱さんを言い表すなら、最適なのは『ヴィラン』だろう。
中二病らしく、彼女が生理的な嫌悪を示すように。
彼はゴシック調のモノと、綺麗な裂傷、紅で表せる見た目の血を好んだ。
好んだ、ふりをした。
官能的なものは、押し付けられても好きになれなかった。
彼女の全てには、応えられなかった。
本当は人に刃物を向けるのは好きじゃなかった。
切っ先を向けられた人間の眼差しを見て、いつも胸が痛んだ。
震える息遣いに、心がささくれていった。
家族
心の隅っこで、自分と同じように変な役割を持たされて生まれた人達に出会った。
彼らも、彼女に与する者たちから ”必要悪として” 忌み嫌われたはぐれ者だった。
最初に出会ったのはおかっぱ頭の虚ろな目の少年。
名前は「青加」と名乗った。
学校でいじめられていた彼女が、いじめの一環として呼ばれていたあだ名が由来だという。
少年と剱さんは、少年が消えるその日まで、親友のように過ごした。
次第に色々な人たちに出会った。
ストーカー気質な少女、暴力的な青年、彼女の自己否定を煽る言葉を囁く女性、大人達に従順に首を垂れる少年、罰を受け続ける子供、自暴自棄を装う少年。
剱さんは、心の隅っこを徘徊する彼らに声を掛けては、自分が根城にしていた場所へ連れて帰った。
そうして彼らは徒党を組み、いつしか家族のようになった。
若菜
剱さんが連れて帰った最後の一人になったのは、恐らく若菜だと思う。
弟の燕、妹の日真ちゃんの面倒を見ていた、三兄妹の長男だ。
彼は当時、真面目過ぎるきらいのある15歳の少年だった。
真面目過ぎるが故に、弟妹の情緒に当てられ、心を病んでいた。
剱さんが気まぐれに表の方へ出かけた際に、膝を抱えて塞ぎ込む若菜を見つけた。
表の人格達は若菜の扱いに困り果てている様子を察し、いつもの演技がかった調子で笑った。
「ねえ、持て余しているなら一人頂戴よ」
燕、日真ちゃんの傍に居た若菜を指差し、まるで犬猫を所望するように剱さんは言う。
その場の全員が「え?」という表情と空気を作った。
何を言っているんだこの人、という見えない言葉を囁き合うなか、指をさされた当人である若菜だけは、虚ろな表情に光を灯していた。
ゆっくりと立ち上がる彼の背は、剱さんのそれよりもうんと高かった。
先程の意味とは別の意味で「え?」と表情を強張らせる面々に背を向け、若菜は剱さんから伸ばされた手を取った。
「行かないで」
燕の声を背に受けた若菜は、振り返らず「ごめん」と言うだけだった。
剱さんは、笑っていた。
以降、剱さんは五年もの間、若菜と生活を共にすることになる。
若菜は青加に代わる剱さんの右腕として、現在も剱さんの傍に居続けている。
終焉
「十年生きてみる。その十年で何も変わらなかったら、今度こそ死ぬ」
二十歳になる前日、彼女はそう決めていた。
命の期限を決めたことで、どんなに希死念慮に苛まれても、彼女は床をのたうちまわって泣き叫びながら生き続けた。
毎日続く泣き声に、表の人達はいつも疲弊していた。
どんなに今辛くても、十年待てば死ねる。
それは呪いでもあり、希望だった。
十年目の年、死ぬ予定の五か月前から、彼女は準備を始めた。
まず、表の人達を全員自分の中に取り込むことにした。
全員自分なのだから、全員連れて往く、そういうことらしい。
それは剱さんも例外ではなかった、筈だった。
表の人達は彼女に近い思想で暮らしていた分、受け入れられるのが早かった。
本当はいつでも取り込めたものを、わざと否定して先延ばしにしていたらしい。
剱さんが根城にしていた場所は、表の人達のようにあっさりとは消えなかった。
否認されて解離して、さらには相容れないと幽閉していたものだ。
彼女は剱さん達を、自分だと受け入れることが難しかった。
だがそれでも、彼女は受け入れた。
少しずつ家族が消えていくなか、剱さんと若菜だけが暗闇に二人きり、残された。
若菜は彼女が正気を失った後に別人格から派生して生まれていたため、彼女は若菜を知らなかった。
若菜は彼女の取り込みの対象から外れていると悟った剱さんが、「君だけでも逃げなよ、僕らに付き合うことはない」と言った。
若菜だけは、生まれが違う。
彼女と関りが一切なかった。
「いえ、俺はここに残ります」
何もない隅っこで、若菜は自分より小さな体の育ての親を抱きしめていた。
「俺にはもう、帰る場所がないですから」
「付き合わせてごめんね」
一番古い生まれの人格と、一番新しい生まれの人格が、そうして最期を待っていた。
光明
暗闇に光が差した。
若菜の背に当たった光を、剱さんが肩越しに眩しそうに見ていた。
結局、彼女は剱さんを自分だと思うことは、最期まで出来なかった。
彼女は、自分という人格を殺して、十年のロスタイムを終えた。
彼女を亡くした体は、新しい主人格に沿って、みるみるうちに体質を変えていった。
生活も変わった、生き方の方針も変わって、端から見る『彼女』という人物像の性格も変わった。
剱さんは、いつの間にか最年長の生き証人になっていた。
幽閉されていた過去が終わり、生まれて初めて、年長者として表舞台に立つこととなった。
ヴィランの役が、終わった瞬間だった。
「驚いた。人間ってつまらないのだねぇ」
会社のオフィスのなか、パソコン画面と向き合いながら、独り言ちる。
傍らの若菜が「そうですね」と返した。
住む場所も変わり、仕事を転々とした。
彼女が知らなかったがゆえに生き残った人格達と日々を重ねながら、人並みに悩み、人並みに遊んで。
人並みに心を病んだ。
会社まであと五分の距離で、剱さんは足を止める。
「ねえ、僕、人間らしくなれたかな」
往来のなかで立ち尽くし、本来の見た目通りの、子供のように泣く。
彼の見た目は、会社勤めをするような年齢のそれではない。
「はい、人間らしいですよ」
寄り添う若菜が、囁いた。
会社を素通りして、その日、人生で初めて、無断欠勤をした。