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深かじり歴史学読書会 2019-02

実施:2019年8月
−読んだ本・範囲−

①「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子(新潮文庫)
https://www.shinchosha.co.jp/book/120496/
(範囲:第3章 第一次世界大戦 〜 第4章 満州事変と日中戦争)
②「アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ」中島岳志(潮文庫)
https://www.usio.co.jp/books/ushio_bunko/1953
(範囲:第11章 黒龍会と一進会 〜 第18章 アジア主義の辺境)
③追加参考書籍
「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」加藤陽子 著(朝日出版社)
https://www.asahipress.com/bookdetail_digital/9784255009407/
(範囲:2章「選択」するとき、そこで何が起きているのかーリットン報告書を読むー 093〜198p)

日露戦争後〜第一次世界大戦〜日中戦争前の、約30年を扱った範囲を読みました。今回が、いちばん読み応えがありました。

お恥ずかしいことなのですが、日露戦争から太平洋戦争始まりまでの間のことがよく分かっていませんでした。だいたい35年ぐらいあるわけで(これは私の年齢そのもので、人間の半生ほどはある)、今の時代で35年前といえば平成が始まる直前、時代はバブル景気。発明や開発、世界情勢、景気の動向、世論の変遷、世代間ギャップ、35年の間にそれはいろいろあるに決まっていて、当時も日露戦争のこと知ってる人はわりと上の世代になってしまっている。明治を知らない人たちも社会の多くを占めていた。(私も昭和生まれだけど昭和のことを実際そんなに知らない、だいたい不景気な日本しか記憶にない。昭和生まれの平成育ち。しかし社会が持っている「経済大国日本」の記憶の印象だけは染み付いてる)
日露戦争の記憶の中で幼少期を過ごし、大正デモクラシーの中で育ち、その人々がなぜ泥沼への戦争を支持してゆくのか。それはいまだに、色々と研究者の間でも議論の余地があるテーマであるようです。

近代史歴史学の加藤陽子先生の講義録の形をとった「それでも〜」「戦争まで」は経済と外交の観点を多めに、政治哲学の中島岳志先生の「アジア主義」は思想的な観点から、立体的に難しい時代を分析してとても分かりやすく、そして「何が難しいのか」が整理できます。
今の「国境」枠では理解できない、世界史的な観点から見る日本の明治維新、日露戦争が世界に与えたインパクトの大きさ、学校の授業で習う日本史ではスルーしがちな第一次世界大戦の影響、資本主義と社会進化論の落とし穴、中国大陸の複雑な混乱。

読書会をしたことで、改めて、少し真面目にこの35年間のことを辿ることができました。(やってよかった。下手したら満州事変と2.26事件の順序もあやふやな大人のままでした)おりしも、夏だったので戦争をテーマにしたテレビや映画を見たことも含めて。もちろん安易に重ねられはしないけど、どうしたって今現代の日本と共通する、背筋の寒さがあった。

恐ろしいのは、人間は現状肯定バイアスから世界を見てしまうこと。世界平和やアジアの発展を構想する人が、日本のアジア侵略や天皇の存在という矛盾を解決してくれる思想に飛びついてしまう。大衆は、自分たちの不安を解決してくれる合理的な真実よりも、むしろ不安を補強するような言説に向かってしまう。(ユダヤ民族が世界征服を企んでいるという迷信を垂れ流した人が戦時中にダントツ人気で議員に当選するとか、今、本当に笑えない)
自由、民主主義を支持した人たちが、その延長線上に軍部を支持してゆく。格差が人々を分断。深刻な不景気が大きな要因になっている。

「支配」とひとことに言っても実際は何なのか。グローバル資本主義と国民国家はそもそも矛盾するもの。その国の民族ではなく資本投下した主体に決定権があるのなら、民族自決が機能しない。これはいまだ形を変えて現れる問題。誰がお金を出し、権利があるのかが問題になる。

安易に重ねられないが、悲しくも、この時代の不可解さは現代からのほうがよく理解できてしまう。戦後民主主義教育で「軍の暴走」「政治の腐敗」「外国への侵略戦争」と説明されてきた、上を悪とする、ある意味簡潔な断罪はもはやできない。
今の時代はどこに向かうのか、また私たちは「止められない」のか。私たち国民が「流されない姿勢」を持つこと、自分の思い込みを疑いつづけること、学ぼうと思うことでしか、方法は無いように感じる。

(2019-03に続きます。)


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