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英読書会-夏目漱石「それから」

夏目漱石「それから」(1909)読書会(2019/8/23)
参加者:英、SHさん、MTさん

●主人公(代助)のダメ男さ。映画(松田優作主演)の印象とギャップがある。映画化しようと思ったら、主人公に共感する方向にも、「この人ダメだな」という方向にもできそう。
●最もダメなのは自分の気持ちに正直ではないところ。
●書生の門野さんもなかなかの新人類だが代助も人のこと言えない。
●代助は繊細すぎる人。父との世代ギャップも致し方ない。これより少し前の激動の時代なら生きていけなかったかもしれないが、この時代のこの環境なので、このようなタイプの人が生きていけることを許されている。今の時代に通じる。このような人を「本気で生きる」ようにさせるためには、ラストのように、家の庇護も失い、恋する人の命も危険に晒されるようなことが起きる必要があるかもしれない。
●この時代は「家制度」がまだ根強い。しがらみだが、「家制度」の中にいれば生きていける。今の感覚だと、個人主義が強いので、自分で働いていない代助を情けない人と思ってしまうが、家制度の中にいる人なので、そういう枠組みではなさそうである。社交をしたり、次男として家の構成員でいることの役割はあっただろう。(今でいう主婦に近いかも?)
●だが、次第に江戸時代以来の家制度が揺らぎ、個人主義が出てくる時代。代助のような「高等遊民」も実際に出現していた。
●花の描写の美しさがすごい。三千代の百合の思い出の印象強さ。文体は見事で、文から「香り」まで感じられる。現代よりも身近に花や草木があった時代。花に対する感情も現代とは違いそう。
●代助は敏感すぎ、人の気持ちも感じすぎてしまうので、自分の気持ちを出しにくかっただろう。繊細なタイプの人(今、HSPとして取り上げられる)はいつの時代にもいる。環境との関係。単に「自分に正直じゃない」と責められない。漱石も鬱になったりしてしんどいタイプの人だった。代助を鬱屈させる環境ではあるが、このような環境だからこそ、代助の繊細さは育ったとも言える。
●しかし、自分に自信を持ってもいる。平岡に対し優越感も持っていたように感じる。容姿の面など。
●前半がやはり長いが、読んでみると必要な長さだったと思う。代助の鬱屈感を読者が共有するのかも。
●恋愛の延長で結婚がなかった時代。(しだいにこの時代から恋愛結婚をする人も出てくる。大正時代の自由主義の気風。)漱石、自由や個人主義のことを描こうとし、その象徴として恋愛を描いたようである。家や義理のしがらみが強い社会と、どうしても個人的な感情になる恋愛に葛藤が生まれる。
●それに比べ、現代は自分のことで悩むことが多い。昔のほうが人との関係では悩むこと多かったはず。今は1人でも生きやすいので、「気に入らなかったら環境を変えよう」とは軽く言いやすいけど。
●代助は自分や三千代の気持ちより友人を優先した。現代はむしろ恋愛至上主義という特殊な時代かもしれない。今の私たちは気持ちに素直にならなかった代助を「ダメ」と思ってしまう。しかし、男女の恋愛は男の友情には優先されないのもうなづける時代だった。(「門」「こころ」にも出てくるテーマ)女性の気持ちは優先されない、男尊女卑の考えもあった。
●三千代、ヒロインとしてのタイプが少し違う。今までの草枕の那美さんや虞美人草の藤尾さんは、むしろ兄嫁である梅子のタイプ。代助は梅子と気があう。梅子も嫁なので、よそからきた人。どこかで疎外感を共有するのかもしれない。
●三千代と平岡も微妙な関係。決定的にクライシスな夫婦ではない。ずっと一緒に居て幸せではないだろうが、果たして「仲が悪い」夫婦なのかは疑問。意外と穏やかな時もありそうな場面も。代助が略奪を決心する後、具体的にどうしようか逡巡する(そこが情けないけど、そこはズルくなれないんだな〜とも思う。代助やはり良い人か…)。それに対し、落ち着いている三千代すごい。
●三千代とうまく駆け落ちしたとして、その後の2人はどうなるか気になる。余裕を失った代助を三千代は好きで居続けられるか、それとも「昔の代助」を取り戻せばうまくいくのか。
●ラストシーンは、新しい時代の変わり目の象徴的かもしれない。前の時代の感覚が通用しない世界を生きなくてはならない世代。応援をしたいのかも。漱石は先生をしていたので、若い世代の変化は身近に接していただろう。
●「三四郎」につづき、「それから」、次の「門」は、漱石の「前期の三部作」らしい。何が三部作なのか、考えたいですね。

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