琵琶湖一周ウォークの旅【13】
- 2017.6.22 -
《湖北野鳥センター・水鳥ステーション〜早崎ビオトープ〜奥びわスポーツの森〜姉川〜産直びわみずべの里〜長浜城址・豊公園・長浜城歴史博物館〜長浜鉄道スクエア〜JR長浜駅》
まずは先日の最終地点、湖北水鳥ステーションまでのコミュニティバスが出ている河毛駅へ。お城風の駅舎。
駅の東には、前回写真を撮った浅井長政と妻お市の方(織田信長の妹)の像。その背景の山が、浅井の居城、小谷山です。織田信長軍に敗れ、落城。
野鳥センターに到着。現在、水鳥たちは子育てシーズンのようです!
監察室。貸切でした!センターの前は、湖中に木の生えた浅瀬が広がっていて、サギ、鵜、カモ、カイツブリなどの多種多様な水鳥さんたちがごちゃ混ぜにくつろいでいました。
冬には、シベリア方面からコハクチョウが飛来する名所になっているそうです。
中に、数羽のコガモを連れて泳ぐ親子がいました!!!か、可愛い〜💕もうけっこう成長していたけど、お母さん鴨の後をついて、けなげに一生懸命泳いでました💕💕
見られてラッキー(*´∀`)
水鳥などの湖の生物の生息には、ヨシという植物が重要なのです。ヨシのしげる場所は、多様な生き物たちが暮らすことができます。干拓などで失われるヨシ群を保全しておるそうです。
ちょうど、対岸は、以前行った今津の水鳥観察センターがあるところで、そこもヨシの保護地区になっています。
隣の水鳥ステーションという道の駅。
浅井長政の娘三姉妹がキャラになっていますが、
…顔出しパネル雑っヽ(´o`;
観察センターを抜けて、湖岸道路をストイックに歩きます!
今日は長浜まではずっとこんな感じです。
薄曇りでそこまで気温高くないので、快適です。
たまに小さい港が。
左が竹生島、右はつづらお崎。
木の隙間から、水鳥たちが見えます。
そしてわたくし、このへんで重大なミスに気づきました。
水鳥ステーションで、琵琶湖一周スタンプラリーを押すの忘れてました。゚(゚´Д`゚)゚。
ばかあ!!
まあ、問題は無いんですけどね。。
ヨシです!
山手。後ろの山は、左が小谷山、右の小高い盛り上がりは、浅井と対決するときに織田信長や徳川家康が陣を構えた虎御前山というところだそうです。
手前の溜め池みたいなのは、早崎ビオトープというところ。人工的に、水田を内湖(湖のほとりに出来る小さい湖)に戻して生き物たちの住処を確保している感じらしい。内湖も、生物の重要な生息地ですが、干拓で失われているため、このような形で保護観察をしているようです。冬にはコハクチョウがたくさん来るようです。
中間点にあった、「奥びわスポーツの森」。
キレイな公園になっています。中を通って進みます。
緑の中のシロツメクサがキレイ!
更に先をゆきます。右のちょこんと盛り上がりは、琵琶湖で唯一人が住む島、沖島。その左の三角の山が近江八幡と見えます。
中央にわずかにちょんと小島みたいのがあります。おそらく、彦根沖にある多景島ってやつじゃないかと…
「姉川の戦い」で有名な姉川河口にさしかかりました。大きい川です。
サギがわんさかいます!
何故か、死んだ魚がたくさん打ち上げられていましたヽ(´o`;何があったのか…
姉川の先に、ちょっとした保養地がありました。屋根付きの休憩所でお弁当食べました。釣りの人もいます。
ここ、ネコの住処っぽい。お邪魔しました。
お米や特産品が買える、産直びわみずべの里。
スタンプラリーをこんどは忘れずに押しました。
(今日は順調に行けば三か所のスタンプを押すことになっていたのでした)
さらに歩きます。左の三角の山は伊吹山大先生です!
ようやく長浜に来ました!長浜城の天守閣が見えます^ ^!
お城の周辺は公園です。太閤の井戸というのがありました。
逆光ヽ(´o`;
長浜城は、小谷山城を攻略して浅井氏を滅ぼした後に、信長に長浜エリアの支配を任せられた豊臣秀吉が主に拠点としていた城です!
お城の内部は博物館になっています。ちょっと展示替えのため、鉄道についての展示しか見られず…。
エレベーターの無い階段(けっこうある)を頑張って登り、天守閣へ!
360度見渡せます!
歩いてきた道のりの方向。右側の三角の山が山本山という、あそこのふもとあたりからスタートしました。
景色の良いお城ですねー!
長浜城を中心に、歴史的事件の起きた場所を展示しています。秀吉になった気分で、時代と空間を身を以て俯瞰した気になります!
さて、ここで実は重要なお知らせがあります!
あれ、実は長浜城ではないのです。。
あれはね…、単に歴史博物館をお城風の外観にしておるのであります。。
ほんとの本丸跡はこちら。
公園を抜けて駅の方へ。
旧長浜駅舎を保存した、「長浜鉄道スクエア」と、向かいの迎賓館「慶雲館」の間の道。角に、「旧長浜港跡」の碑が。昔はここまで港があったのでしょう。
「慶雲館」。明治天皇行幸の時に使われたそうです。見学できますが、昔行ったことがあるので、今日はもう夕方のためスルー。
向かいの、鉄道スクエアです。こちらも昔行きましたが、スタンプもあるので見学します。
大好きなジオラマ!昔は駅舎のすぐそこに港がありました。
左はさっきの慶雲館。
明治になって、政府はガンガン鉄道を敷きたかったのですが、いっぺんには無理なので、敦賀〜長浜、神戸〜京都〜大津を優先して敷設。(新橋〜横浜の次がこのラインだったそうです)
で、大津から長浜までの鉄道ができるまで、鉄道連絡船で琵琶湖を通行していたわけです。
駅舎跡は待合室の再現もありました。
明治天皇行幸の際には、現人神である天皇が普通の待合室にいるわけにいかないので、わざわざ天皇が待つ場所として慶雲館を作ったということです。
私の自宅(当時)の最寄駅、膳所駅も歴史が古いのです。
鉄道連絡船につなぐためにスイッチバックでUターンさせる駅だったとか。とても重要だったのです!!(今は普通しか止まらない…(つД`)ノ
鉄道の展示もあります^ ^
今日はかなり、ストイックに歩きました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?