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今、読むべき書『同士少女よ敵を撃て』

小説をあまり読まない私だが、書店で見た瞬間、今読まなくてはいけないと直感が働き、この本を手に取った。戦争物もあまり好きではない質だが、分厚いこの本を最後まで読み切らずにはいられなかった。

最近はニュースで取り上げられることがめっきり減ってしまった、ウクライナの状況。報じられても、攻撃が開始されたあの日のように、衝撃が走ることも、怒りに震えることもなくなっていた。

戦火に生きる女狙撃兵達の物語。

この本は2つの事を教えてくれる。
一つは、戦争とは。
もう一つは、生きるとは。

疑似体験を通して知る戦争とは

狙撃兵となった彼女達の実績は「人を殺した数」だ。
あまりにストレートでわかりやすい性質の数だが、殺した人数という部分に、強い嫌悪感を覚える。日の目標は3殺。そんな目標値を掲げながら、敵国のフリッツ(ドイツ人)を仕留めていく。

敵国の女性に対する暴行は、同志的結束を強めると表現される。
犠牲者の遺体は、地面を掘った穴に、山のように積まれ焼かれる。

テレビ画面で映し出される、両腕をロシア兵に掴まれたウクライナ女性。大きな穴に積まれる遺体。この本で読んだ戦争の事情や、人の扱われ方、異常な状況下での人間の心理。手短に報道されるウクライナの状況を見ても、今までにはなかった情報量が脳内のどこかから押し寄せてくるようになった。

独ソ戦、真っ只中のロシア人女狙撃兵セラフィマを通して、ウクライナの被害の実態を想像する。


戦場の英雄、狙撃兵の生き様から感じる「生きる」とは

309人を撃った、女狙撃兵リュドミラは英雄だ。
若き狙撃兵達は、人数を多く撃った英雄のようになることを夢見ながら人を撃つ。

一見輝かしい功績に見える反面、戦場での経験を積めば積むほどに、英雄の体内には歪んだ体験が蓄積されていく。

100人撃った先に何があるのか。
答えは切なく、どうにもならない現実だった。

敵国の狙撃兵に母親を撃たれ、村の人々が目の前で殺される。セラフィマ一人が生きたまま連行され、暴行を受ける直前に女狙撃兵イリーナに救われた。イリーナは無情にもセラフィマの母の遺体に火を放つ。戦うか、死ぬか。突き付けられた選択に、セラフィマは母を撃った狙撃兵と、イリーナへの復讐を胸に、イリーナの元で生きることを選んだ。

成長を遂げたセラフィマは女小隊の一員として戦う。
母を焼き、生まれ育った家を焼き、自分を狙撃兵に仕立て上げ、戦わせているイリーナへの恨みは消えることがなかった。

人には選択肢が与えられている。
誰に言われるでもなく、誘導されるわけでもなく、自分で選んだ選択なのだという事にセラフィマは気付く。

戦闘の最後に繰り広げられる残念で衝撃的な場面はあったものの、物語のフィナーレはまずまずだ。辿り着いた答えは、いつか読んだ心理学の教えと答えが一致した。

敵とは誰のことなのか。
生きる、とは。

あなたはこの本を読んで何を想うだろうか。



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