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他の人のことを気にしない街で重箱の隅をつつく話
近所でよく見る、ホームレスと思われるおばさんがいました。いつも、私には見えない誰かと、大きな声で白熱した議論を交わしながら道を歩いていた。
おばさんがワイヤレス・イヤフォンで誰かと通話していた可能性も拭えません。私はおばさんの耳の穴を確認はしていませんから。
だけどおそらく、私たちには見えない誰かと熱く会話をしていたのだと思います。エア討論です。
当時、私はベルリンに住んでいて、外によく出かけるほうではなかったけど、たまに出かけると、何かの運命なのか、必ずおばさんの姿を見ていました。
または、私たちが通るタイミングに、撮影のエキストラのように、誰かの「ハイ、今!」という掛け声で、おばさんは建物の角からスッと出てきていたのか。謎だった。
おばさんは、いつも道にいて、枯れた庭木のようなきゃしゃなボディで喋りながら歩いていた。座り込んだり寝ている姿は見たことがなかった。
おばさんは、近所のレストランやパン屋などお店から食べ物をわけてもらっているようだった。
もしかしたら事前にオーダーして店頭受け取りしていた可能性もありますけど。そうだとしたら、私のとんだ先入観で、彼女を物乞いだという前提で話してしまっていますが、そんな無限の可能性を、つまようじでつついたら重箱の隅から話が進まないので、一応、ここは私の見た範囲の仮定の話で進めます。
ベルリンで不思議だったことの一つに、人々がわりとホームレスや物乞いにお金やモノ(食べ物とか)をあげることがありました。
地下鉄に乗ると、よく、紙コップを持って何か言いながら物乞いをしてまわる人たちがいて、乗客たちはちらほらと財布を開き小銭を上げていました。
車両内で音楽を演奏したり歌ったりして、その後お金を回収する人たちには私も小銭を渡したことがありますし、理解しやすい。
けど、何も披露せず、ただ紙コップを持って小銭をリクエストしている人に、財布からお金を出してあげるのはずいぶん寛大だなぁと思って見ていました。
だって、托鉢の修行僧だってお経を唱えていて、「何か」はしているし、と思ってしまうのですが(ここでこんな例え言ったらバチがあたりますかね)。
しかしながら、そういう物乞いの人たちにも事情があり、それぞれの状況があり、一概に彼ら(彼女ら)に何かあげるのが良いとか悪いとか私にはわからない。みんながみんな、ジャンキーだったりアル中じゃないし、やむにやまれぬ経緯があったのでしょうから。
話は私が近所で見ていたホームレスおばさんに戻る。
ある夏の日、私は外から帰って、アパートの入り口の扉を開けた。1階の建物に入る扉で、その扉は鍵がかかっているはずなのだけど、しっかり閉まらなくなって、その頃よく半開きになっていた。
その扉を、私が押すと同時に中から誰かが引っ張って扉が開いた。
ホームレスおばさんが出てきた。手に、テイクアウトの紙の皿に入ったカレーを持って、笑みを浮かべた顔で私と目が合い、何か喋りながら、出て行った。
近所にインド料理の店があるから、そこのお兄さんたちが食べ物をあげたのかな。ヨカッタネ。親切だけど、今ここで、それはポイントではない。
私は心臓が止まりそうになるくらい驚いた。いつも道で見ていたホームレスおばさんが、うちの建物から。
なんで?何してたの?なんで?
混乱と共に嫌な予感がした。そして、たいていの嫌な予感がそうであるように、それは当たった。
おばさんは階段の最上階に毎晩来るようになった。私が住んでいたのは古い5階建てのアパートで、内階段は木製で歩くとギシギシ鳴り、最上階まで上がると屋上に続くのであろう階段があり、行き止まりになっている。
その行き止まり部分におばさんは毎晩上がってきて、見えない誰かとエア討論をして、「カーーーー!クワーーーー、ペッ!」という、何をしているのか想像したくない音が聞こえてきた。
内階段なのでよく音が響くのだけど、住人で文句を言う人はいなかった。
ベルリンという都会で、若者やら私たちのような移民やら、訳のわからない人たちが住むアパートで、近所付き合いのようなものはなかった。
いつも半開きになる入り口の扉には「ちゃんと閉めて」と注意の貼り紙が貼られていたけど、結局いつも閉まっておらず、ホームレスおばさんは入り放題だった。
ある深夜、おばさんが階段を降りて行き、入り口を出た音が聞こえた。
私の部屋は4階だけど窓を開けているとシンとした夜中に足音がよく聞こえた。
そして、よく聞こえたのは足音だけではなく、ホースで水をジョボジョボと落とすような音が聞こえた。まさか夜中におばさんが芝生に水やりをやっていたとは思えない。
体内の水分を放出している。
そしてそれが終わると、また階段をギシギシと登り最上階へ行く音が聞こえた。
おばさんの用を足す音を耳にしたことで、私は悟った。待っていても誰も問題解決はしてくれないことを。そして事態は悪化していくことを。
「もう無理」と私は思った。このまま、一緒の建物の中に住み続けることを受容する寛大さは私にはない。
私は心の狭い人間だし、おばさんに「出てってください」と直接言う勇気も、ドイツ語力もない人間なのである。体当たりしかできない。
昼間、おばさんがいない時に階段の上を見に行ってみた。
行き止まりの階段はゴミで埋め尽くされていた。踊り場の窓ガラスは少し割れていた。暑くて風通しをよくしたのかな?
階段の各段に所狭しと物が並んでいる。春に飾られる立派なひな壇にも見えなくない。いや、見えない。いつか虫がわいたり、ネズミが出そう。こわい。
私はその物量と形容し難い匂いに圧倒され、めまいがしながらも、急いで自分の部屋に戻りゴム手袋とマスクを装着して、一番大きなゴミ袋を持ってきた。
何がそこにあるのか、私の心のアルバムに刻みたくなかったので、上まぶたと下まぶたに力を込めて薄目にして、セルフでぼかしを入れ、急いでモノをゴミ袋に入れていった。
そして大急ぎで外のゴミ捨て場のコンテナに投げ込んだ。
私が片づけコンサルタントの「こんまり」だったら番組が成立しないくらいの短時間だった。
自分の部屋の断捨離だと、ときめきすぎてこうはスピーディーに進まない。恐怖の力ってすごい。
何袋だったか、一度で全て持って降りられたのか、往復したのか、もう記憶にない。
とにかく、おばさんと鉢合わせたくない一心で急いでおこなった。
モノがなくなっていたら、おばさんは叫んだり暴れたりするんじゃないかと思って怖かった。
そして、おばさんは所有物が消え失せたのを見たら、諦めて、出て行ってくれるだろうと私は予想していた。
私の考えはいつも足りないように、やはり浅はかだった。
おばさんは全然出ていかなかった。
わたしたちには見えない誰かとエア討論を続け、夜中に「カーーーー!クワーーーー、ペッ!」と言い続けた。
ある時、相方(通称ブッダ)が隣人と出会ったので、ホームレスおばさんのことを話題にしてみた。同じ不満を抱いていたら、一緒に何かアクションを起こそうと話そうと思ったのだ。
だけど隣人は「うちはあまり聞こえないから、別に気にならない」と言って話が終わったそうだ。彼らは部屋の作りが私たちと違い、リビングが奥にあり、内階段から離れているのだそうだ。
他の人のことを気にしない。
だから自分も自由でいられる。
それがベルリンの良いところだと人々が言うのを聞く。
それはベルリンの魅力であると私も同意する。
けど、この場合は、どうにか一緒に何かして欲しかった、と私は思った。
ブッダは突然警察に電話をし始めた。
私よりドイツ語が話せないブッダがどうするのだろうと思ったけど、全力で英語で「こんばんは。建物に侵入者がいて困ってるんです。大声を出したりモノを壊したり」と説明していた。
「警察来てくれるってさ」とブッダは私に言い、「ドイツ人ってさ、英語話せる?って聞くと、Noって言うけど、そのまま英語で話し続けたら英語で返事するんだよね。話せるのにNoって言うよね。スペイン人はさ、英語ほとんど喋れないくせにYesって言うんだよね。ハハハ」と言っていた。
間も無くして、私たちのインターホンが鳴った。
警察だった。本当にすぐに来てくれた。ベルリンの警察って暇なのか、真剣に仕事してるだけなのか、わからないけどちゃんと動いてる。ありがたい。
私たちは警察に「上です」と教えた。すぐに、上で話し声が聞こえて、そして足音は下に降りて行った。
ものすごくあっさりとホームレスおばさんは出て行った。
後日、チリ人の友人と話をしていたら「あー、よくあるよね。うちもさ、階段に住み着いちゃった人がいてさ、踊り場がしょんべん臭くなって、困ってたことあったよー」と言った。
ああ、ベルリン。
↑ 同じベルリンのアパートでの出来事です。
↑ ベルリン警察が意外な活躍をしてくれたもう一つの出来事。