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なぜ人々は全裸になりたがるのか

どこの街にも、それぞれとっても素敵な魅力と、それと均衡する諸々な不平不満のようなものがあると思います。

道が汚いとか、駅が小便くさいとか、冬が暗いとか、住宅難で家探しにうんざりするとか、トイレがいちいち有料だとか、これらは私がベルリンに住んでいた時に思っていたことなのですが。

もちろん、離れてみて、やっぱりあれはよかったなぁと思うこともあります。例えば、夏に蚊が出ないことや(これはかなり過ごしやすかった)、全裸混浴のスパ(とてもおもしろかった)、それらが私にとっては懐かしく思うもので。

それだけだと、あまりにベルリンがどんな街か伝わらないし、数年間お世話になった街に悪い気もするので、もうすこし付け加えると、ベルリンは移民や同性愛者などマイノリティに寛容で多様であること、ミュージシャンやダンサーやアーティストなどが多いこと、都会ではあるもののかなり緑豊かなことも素敵な点としてあります。

世界が感染症でおののいていた2020年、すぎてしまえばなんとやらで、どうやって過ごしていたかほとんどのことは忘れてしまったけど、今でもはっきり覚えているのは、全裸のおじさんがイノシシを追いかけているニュースでした。

その出来事は、公園でくつろいでいたおじさんのバッグ(ノートパソコンが入った)を、イノシシがくわえて持って行ってしまい、おじさんは慌てて裸のままイノシシのあとを走っている姿でした。

バッグをくわえて走るイノシシには小さなイノシシが2頭そばにいて、愛くるしくも滑稽な情景です。「母ちゃんについてきなさい!昼ごはんに行くわよ!」と、果敢に人間の近くに来たのかもしれません。

パソコンの入っていたカバンは重みがあって、母イノシシは「これは大ご馳走に違いない」と期待して、子どもたちに食べさせたい一心で必死に走っていたのかもしれません。

ドイツ公営ニュースDWのスクリーンショット2020年

かわいいイノシシ親子のことはさておき、注目すべきは、なぜおじさんが全裸で走っていたかについて。ベルリンには街中の公園にヌーディストエリアがあり、公に、全裸で過ごしていいよ、と認められている場所があります。

それを知らなかった頃、昼間に公園を歩いていたら、おじさんが全裸で草原に座っていたり、シャワーで水浴びしているのに出くわして(公園に設置されている)、私は度肝を抜かれたことがありました。

日本だったら、ヒョエー!と足を車輪のように高速回転させて逃げ出していたでしょう。

公に「裸でいること」の権利が認められているってドイツという国、ドイツ人という人々は寛容だなぁと、なんとなく思っていました(不寛容の極みな歴史もあったけど)。

ただ、なぜ人々はそんなに全裸になりたがるのかはよくわかっていませんでした。ヌーディズム(裸体主義)と呼ばれるそうです。

家の中ではなくて外でわざわざ人々の目線を恐れることなく全てを脱ぎ去りたいのか。

この裸でいるドイツの文化は19世紀からあり、自然の中で全裸で過ごすのは健康に良いというウエルビーイング的な意味はもちろんですが、社会の規範・抑圧からの解放、既存の価値観に対する反抗を表す、などの意味があったそうです。

拡声器や横断幕を持って練り歩くのでも、暴動を起こして警察と衝突するのでもなく、全裸で表明する大衆運動っておもしろいなあと私は思ったのですが。

この全裸文化にはちゃんと名前がついており「FKK(Freikörperkultur)」と呼ばれ、英語だと「free-body culture」、日本語では「身体を解放する文化」「自由な体の文化」などと直訳されています。

ドイツは東西に分かれていた歴史がありますが、私は今さら言っても仕方ないのですが本当に不真面目な学生ったもので、ものすごく単純で粗い解釈をしていました。

西は資本主義で自由な世界、東は共産主義で自由がない世界、という脳細胞を2つしか持たないような、浅くて飛び込んだら骨折しそうなプールのような認識をしていました。

この全裸文化のFKKは、私が自由がない世界だと思っていた東ドイツで広く発達して、自由な世界だと思っていた西ドイツではむしろ規制されていたという事実に少なからず驚きました。

私が「自由な世界」だと思っていた西社会って、意外と「自由」じゃなかったのではないか、という揺らぎでした。そして生活が苦しそうで自由が制限されて最悪だという印象しかなかった東社会で全裸であることが広く容認されていたって、最悪以外の側面も何かしらあったのかもしれない、という。

今までずっと恐くて嫌いだった祖父がギャグを言う一面を発見したような。そして、今まで完璧なエンジェルだと思って大好きだった祖母が実は子どもたちとうまくいってなくて遺恨があるという意外な過去を知るような。

ニューヨーク・タイムズの記事で、「第1次世界大戦で到来した大量殺戮(さつりく)時代に抗する意味(=裸では戦えない)」とありました。

確かに、みんなが全裸で戦争をするのは想像できない。どうでしょう、戦争するなら、前線に立つ兵士だけじゃなくて、指揮系統も大統領も戦争に関わる人は全裸じゃないとダメって決まりにするのって。

戦争の間、全裸。プーチン大統領が演説する時も全裸。ネタニヤフ首相も全裸。

裸では戦えない、というのは本当なのか、実際には裸でも戦えるのか、私はわからないけど、ベルリンで全裸スパに行ってみた時に感じたことを思い出すと、みんながみんな全裸だと争う気は起きない気がする。

身体を解放するFKKは、ただ湖や公園で裸になりリラックスするだけではなく、全裸でバレーボールをしたり、バトミントンや卓球する活動もあるようです。

真剣にスポーツを全裸でするのはおもしろそうですね。バレーボールが生肌にビチバチと力強く当たるのは痛そうでもありますが。

スポーツイベントの写真はとても興味深いのでぜひFKKを実践している団体のオフィシャルページを覗いて見てください。

参照:


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