自己の認識、肯定感や自信とか
自己紹介が下手です。私は自分をどう説明していいかわからない。
だから、モゴモゴあいまいに逃げ腰で話してしまう。何回やってもうまくできないし、慣れないし、改善しない。
握手しながら気持ちはもうムーンウォークで後退りしている。
初対面の人と挨拶とは、ニッコリして自分の名前を伝えて、あなたの敵ではないですよ、と示すのが最低限のやるべきことだと私は認識している。
つい最近、体格のよい中年のドイツ人女性と話をしていた。彼女は私が話したことのあるドイツ人の中でトップクラスに入るフレンドリーな人で、少なからず感銘を受けた。
決して多くのドイツ人が無愛想だと言いたいわけではなくて、最初からフレンドリーでオープンなドイツ人は、ペコペコお辞儀をするアメリカ人を見ないように、スパゲッティを憎むイタリア人を見ないように、面積の小さいビキニでサンバを踊る日本人を滅多に見ないように、珍しいと私は印象を持っている。
彼女はキャサリンといい、私とキャサリンはスペインの犬の保護施設に泊まり込みでボランティアしていた。キャサリンは作業を真剣に積極的にやり、他の人たちに笑顔で声をかけ雑談をしていた。いつも冗談を言って笑っている素敵な人だった。
同時期に、同じ宿泊施設にいるのに他の人たちと会話をしない女性がいた。全身を有名アウトドアブランドのウェアで包み、そのあたりを歩く姿は見るものの、一緒に作業もしない。謎の人物だった。
私はその人の名前も知らなかったので、キャサリンに彼女を知っているか聞いてみたところ、
苦笑いを浮かべて「最初にね、彼女いきなり『私はここのオーナーの友達なの。私は(金持ちの別荘地で有名な)〇〇島に住んでるの』と言ってきたのよ。私はびっくりして『そうですか、私はキャサリンです。どうもはじめまして』と挨拶したのよ」と話してくれた。
自己紹介は、ニッコリと笑顔であなたの敵ではないですよ、と示すものではなかったのか。穏やかにたたずむ馬に向かって、神経症の猫が毛を逆立ててシャーっと歯をむいているような、チグハグさに思えた。
全身ブランドウエアの女性にとっては、この場所で最高権威者である人の友人であること、超富裕層の別荘地に居を構えていることが周囲に知らせたい自分であり、それが彼女の自己紹介だということを私は理解した。結局その人の滞在中に私は一言も言葉を交わすことがなかった。
話は変わるのだけど、ある時、自己紹介で「私はインフルエンサーだ」と言う人に出会った。
私は、インフルエンサーというのは本人ではなく他者がその人をそう呼ぶものだと思っていた。あの人が「資本家だ」「セレブだ」というような他者からラベリングされるものなのだろうと。
何かに対して熱心に活動して発信をしている人から、影響を受ける人がいて、その結果に「インフルエンサーだ」と他者から認識されるものなのかと。
だから、佐川の配達員です、保健師です、ジムのトレイナーです、と人々が自分の肩書きを述べるのと並んで、インフルエンサーです、と自ら言う人がいることに私は驚いた。
人が「自分はこうだ」と自認する自己をどう表現するかは、完全にその人の自由であって、私がどうこう言うものではない。
ただ私は、彼女がいったい誰に何をインフルエンスしているのか知らなかったし、彼女の外見からは何も想像がつかなかった。
職業的インフルエンサーについて私は無知だけど、自分に自信がなくて注目を浴びたくない人は、決して「自分はインフルエンサー」だとわざわざ言わないのではないかと推測する。
自分を肯定的に捉えていて、それを口に出すことをためらわない彼女を、その自信を、自己紹介が苦手で逃げ腰の私は、呆気にとられると同時に少し羨ましく思った。
目を合わさず、パチパチ瞬きをしながら早口で自分のことを語る姿は、どこか傷つきやすいようにも見えたけど。
やっぱり私は自己紹介をどうやったらいいのかわからない。