「友達はいらない」と言っていた私に初めてできた友達が、みんな変人だった件。 【#一人じゃ気づけなかったこと 参加記事】
変な人になりたい。
周りからは少し浮いていて、でも一目置かれていて、やることなすこと目新しい。
私も、変な人になりたい。
友達はいらない。人間強度が下がるから。
「真面目に」歩んできた私は、保守傾向。
頭でっかちで、挑戦できない。
自己肯定感が低いから、
「私なんて…」と足踏みばかり。
小さくなってひっそり静かに。
「みんな」になれるように、周りを見る。
誰にも嫌われたくない。
友達とつるんで、話を合わせて、
トイレに一緒に行って、
「勉強?してないよ」なんて言って、
合わせて、合わせて、
それなのに、「知らなかった飲み会」「知らなかったイベント」が、SNSにアップされる。
私が相手をどんなに大事に思っても、相手にとっての私は、「たくさんいるクラスの人のうちの一人」。
友達はいらない。人間強度が下がるから。
こう言ったのは、「化物語」の阿良々木暦。
大事に思うものが増えれば増えるほど、傷つくことも増えるのだ。守らないといけないものが増えるほど、自分以外にさく時間が増えるのだ。
「みんな」になるのは、やめる。
一人でいれば、嫌われることもない。
傷つくこともない。
無理して合わせることも、なくなる。
「みんな」にも「自分」にもなれない20歳
その特別授業が始まったのは、大学2年生の秋だった。それは、選ばれたメンバーが、月に1回、水曜日の午後2時間授業を受けるというものだった。
複数の学年から、各学科の人たちが集められた空間は、ハッキリ言って、「変な人」を凝縮してここに詰め込みました!という感じ。
みんながみんな「みんな」であり、同じであり、息を潜めて終わりのチャイムを待っている自分の学科とは、空気が違った。
みんながみんな「自分」の専門性をめちゃくちゃに出して、戦っているような感じ。
めっちゃ喋る。手を挙げる。動く。
同じ学年の中でも特に「この人は変だ」という人たちはやっぱりすごく目立っていて、どこから知識がでてくるんだ?というくらいたくさん意見を言っていた。
怖かった。
怖いくらいにキラキラしていて、憧れるけど、それだけにしておかないと火傷してしまうような、眩しくて目が潰れてしまうような、熱さと輝きがあった。
この人たちといると、自分が「みんな」にもなれない上に、「自分」の中身も空っぽであるということが、曝け出されてしまうと思った。
黙って、静かに、この月1回の時間をやり過ごすことに決めた。
その場でどれだけ話が盛り上がろうとも、また次の授業までになんの関わり合いもないから、関係性はリセットされた。
はぁ、よかった。今日もみんな、私を深く知らないまま終わった。その繰り返し。
幸運の女神様の前髪を引っ掴んだ瞬間
あるとき、学年で一緒にひとつのワークショップを作るという取り組みをすることになった。
ものすごく気が重かった。
私は「一人」だったし、なにしろやっぱり「怖かった」。自分のなかの空っぽが曝け出されることも、「こいつ何にもわかってねぇんだな」と指をさされることも、怖かった。
そのワークショップで自分が何をしたかは正直よく覚えていないが(ひどい)、とにかく、そのあとのことである。
「猪狩さん、いまマックにいるんだけど、これから来られない?」
例の学年メンバーからのメールだった。
え、なんの用だろう……?
すごく悩んだ。
でも何故か、その日は偶然その時間まで大学のそばにいて、何故か、塾講師のアルバイトも休みで、何故か、何故か、時間がぽっかり、空いていた。
そして、何故か、私にしては珍しく、「行ってみようかな」という気持ちがふわっと起きた。
何故だろう。人との縁、巡り合わせなんてそういうもん、ということなのかもしれない。
初めてできた「お友達」が変人だった件
「来てくれてありがとう!」
と、何故か嬉しそうに私を迎え入れてくれたのは、「変な人」2人だった。
「変な人」が2人そろって、わざわざメールしてまで、私に何の用だというのだろうか。人間不信、警戒心MAXである。人間強度が高いので。
「猪狩さん、絶対話してみたら面白いって思ってたんだよね〜!話せて嬉しいよ!」
予想外の言葉に、心底驚いた。
なんだかどうやら、「変な人」トップ3みたいな人たちが私の話をしていて、「猪狩さんはおもしれぇ女に違いない」みたいなことになっていたらしい。
なんでそんなことに……?
買い被りも勘違いもいいところだ。
黙って静かに大人しくしていたのに。
「変な人」には、怖いから近づかない。
でも……平々凡々で取り柄もないような「私」は、だからこそ、「変な人」が心の底から大好きなのだ。
私にはないような奇抜さ、行動力、好奇心……そういうものをキラキラ振り撒きながら変なことをしている人たちを見ているのが、大好き。
どうやら「変な人」たちは、有志を募ってイベントを開くつもりらしい。そこに、私も参加しないか?と声をかけてくれたのだ。
え、「変な人」に混じって?
そんなこと、私にできるのかな……
ふっと浮かんだ不安より先に、楽しそう!やってみたい!がサッと躍り出た。
「私でよければ、やります!」
特別授業のなかで、初めてちゃんと「友達」ができた瞬間だった。
そうして、声をかけてもらったイベントは成功を収め、5人の愉快な仲間たちは意気投合。
企画の第二弾も行われ、私たちは立派な「飲み仲間」へと進化を遂げた。
変な人が好きだ。
変な人になりたい。
でも、一人では、変な人にはなれない。
誰か、周り、「みんな」のなかにいるからこそ、比較が生まれて「変」になるのだ。
「私らしさ」「自分のよさ」も、そう。「誰か」がいないと「自分のよさ」は見えてこない。
認めてくれる「誰か」がいないと、「私を認めてほしい」という欲求は満たされない。
皮肉なもんだ。
「一人じゃ気づけなかったこと」に気付けるのも、「今私が一人じゃないから」に他ならないってわけ。
あんなに一人がよかったのに、一人で生きていけるって思ってたのに、人に支えられて、こうして「自分」を生きているんだ。
一人じゃ気づけなかった、
「自分が自分でいられる居場所」
相変わらず学科の中では「みんな」になれずに大学時代は過ぎた。卒業式もそこまで輪の中に溶け込めずにやり過ごした私は、学科の友人たちとはほぼ連絡をとっていない。
そのかわり、といっては変だが、今も「変な人」たちと一緒に大真面目におふざけをして騒いでいる。
ここでは私は「みんな」になる必要はない。
「自分」であればいいだけだ。
拗ねてひねていた大学2年生の私が聞いたら「そんなの綺麗事だ」「そうそうそんな場所は転がってない」って、きっと言うだろう。
そんな綺麗事みたいな出会いが、世の中には確かにある。そしてそれに手を伸ばすか伸ばさないかは、「自分自身」にかかっているのだ。
その「変な人たち」が集まっているLINEグループでは、それぞれがそれぞれの、好きな話をする。専門の話をする。学び合い、語り合い、知らないことは教えてもらい、ときには私も誰かに教える。
私が知らないことを、他の人に教わることもある。私が持っているものを、他の人に渡せることもある。一人一人できることが違うからこそ、そこから生まれるものがある。
「自分」が「自分」で、「あなた」を「あなた」として、尊重しあえる。「変なこと」を、受け入れあえ、面白がりあえ、高めあっていける場所。
そういう場所に、私は巡り会えたのだと思う。
「変な人たち」4人に囲まれて、
私は今とっても幸せ。
一人じゃ気づけなかったたくさんのこと、一人じゃ得られなかったたくさんの時間を抱きしめる。
一人じゃ描けないほどのたくさんの未来を夢に見て、溢れる愛を伝えよう。
変なの〜って思いながら、いろんな景色を見せてもらいながら、力を合わせて新しいものを作り出しながら、私は今日も「自分」を生きる。
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変な人になりたい。
周りからは少し浮いていて、
でも一目置かれていて、
やることなすこと目新しい。
私も、変な人になりたい。
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愛すべき変人、
五賢帝の人たちのことを書きました。
らぶ!!!😘❤️
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猪狩はな 💙@hana_so14
https://twitter.com/hana_so14