好きな人。
私の好きな人を紹介したい。
私の好きな人はTeleおよび、谷口喜多朗。
私が彼を認識したのは、2022年10月ごろ。
TikTokでmvを編集した動画が流れてきた。
一瞬で虜になった。
軽快なリズムかつ難解な歌詞。ドンピシャだった。
その時流れてきた動画はたしか「花瓶」だったと思う。
一回ハマると何回も何回も同じ曲を聴くような性格の私は、その日から毎日Teleの音楽を聴くようになった。
何度聴いても歌詞を理解できない。でもそれが心地良く、歌詞を理解出来ないことが嬉しかった。こんな経験は初めてだった。
私が安易に谷口喜多朗の中に入り込めないこと、谷口喜多朗という人間を理解するのが困難なことが楽しかった。
でも、逆に何度も何度も歌詞を聴いて歌詞を理解出来たような感じになることも楽しかった。相反する感情が常にあった。
Teleの音楽は私のそんな相反する感情、人間の中にある憎しみや妬み、愛、怒り…様々な感情を享受してくれるような温かさがある。
それは谷口喜多朗が沢山悩み、考えた結果だと思う。
私はTeleおよび、谷口喜多朗を定義したくない。 彼を固定したくない。断じて。
私が定義してしまったとしても彼は、「あんたになんか定義出来ないよ俺は。俺は誰にも定義されない」って怒ってくれる。きっと。
私が初めて彼のライブへ行った時、「ステージを端から端まで歩いた時、13歩だった。これからどんどん会場が大きくなって自分の歩数で足りなくなったらここにいる皆んなの歩幅も一緒に合わせていきたい」と言ってくれた。その時、私は彼のこれからについて行きたい、彼の話・音楽を聴き続けていきたいと思った。彼はこれからもっともっと沢山の人に愛される人間になる。そう確信した。
彼の音楽に救われる。
私のおすすめの一曲として「鯨の子」という曲をあげる。
この曲の歌詞に「君のタフさに全てを委ねないで。
自由を愛する事をやめないで。人を疑い憎み諦める賢いだなんて決して言わないで。
眠れない夜は君のせいじゃない、それはたぶん外の風が少し強すぎるだけ。喜びも悲しみも理由はないから、不安にならないで。」とある。
この歌詞はTeleと谷口喜多朗の願いでもあり、喜多朗自分自身への言葉でもあると感じる。
どうしても自分を責めてしまいそうな時、夜の暗闇に押しつぶされそうになって苦しくなる時、いつも彼の言葉に救われる。
もう一曲おすすめの曲がある。
この曲は是非mvを見て欲しい。
谷口喜多朗がまっくらな砂漠の中を駆けずり回る。
光を探していたけれど、ある時、自分の中に光を見出す。
「君が君であるなら、ずっと箱庭の灯。」
自分をしっかり持つことで自分自身を愛し照らすことが出来る。
最後に喜多朗が部屋(箱庭)を飛び出して大勢の中の一人になるシーン。一人一人が自分の好きなように歌い、自分を叫ぶ。
大勢の中にいても、自分の中に光を見いだすことであなたはきっと輝ける。大丈夫。
私はこのような解釈に至った。あなたはどう見る?
解釈を固定しない。自由に考えさせてくれる。
自由に考えることの面白さを教えてくれる。
彼が自由でありたいように、私達をも決して縛らないでいてくれる。
間違っていたら諭してくれる。
この人の中には自由という言葉がとても大きいと常々感じる。
ある日の彼のインスタライブで、ファン達がファン名を決めたいと言ったことがある。コメント欄でファン名の披露がされていく中、彼は「ファンの自由度を下げたくない。一人一人名前があるから。」と言っていた。自分も自由でいたいから、人を縛らない。好きだなぁと思った。
私、この人が好きだ。
どれだけ私が彼のことを知りたい。理解したいと思っても限界があるのだろう。そして理解出来たと思っても解釈の間違いをするのだろう。
一連の私の解釈について、声を大にして言っておきたい。個人の感想です。
あなたの解釈で生きてほしい。
彼のことになると沢山文章が書ける。
私は彼がとても好きだ。
この文章が決して彼に届きませんように。彼が自由でいられますように。私が自由でありますように。
書きたいことがありすぎた為、増して脈絡のない文章を許していただきたい。