長女がトーコーキョヒでして<13>
【仲間を求めない理由】
子どもが登校拒否(不登校)になった時には。
学校に行かない子どものことについて学ぶ、情報を探す、という方が多いと思うのです。
恐らくは、とても不安で、仲間というか共感を求めていく、ものなのかなと。
でも私にはそんなキモチがひとっかけらも無かったのです。
今も無いですけれど。
法律がどうとか、学校対応がどうとか、ネットで当事者同士繋がろうとか。
基本、無いです。
なぜそれができないのか。
できない自分が、親としての意識が低いような、愛情が欠けているような気がしてきて、自己嫌悪で苦しんだ時期がありました。
でも、今ならハッキリ言えます。
私は登校拒否児を持つ仲間を求めたいとも、共感して欲しいとも、思っていないのです。
子どもの性格も、家庭環境も、学校も違うのならば、行かない理由も行けない理由もきっと違う。
どんなに世界が広くても、同じケースは見つからない。
そのことに絶望したのではありません。
同じようなひとを探す必要性を感じなかったのです。
だったら、自分の近くのひとがいいな。
だって、この場所で暮らし続けたいのだから。
同じ学校の保護者の方たち、ご近所さん、もちろん自分自身の友人知人。
長女が登校拒否してます、ということを恥ずかしく思っていないので、笑顔で話題にのせることができます。
相手の反応も様々だけれど、世間の考えや見方はこんなものかなと、推し量ることもできるし。
自分を肯定してもらえなくても、別にいい訳だし。
根本にあるのは、繰り返しになるけれども、この子は学校という組織が嫌いではないから、です。
学校以外の居場所を、積極的に求めている訳ではないからです。
もしも長女が学校に行かない理由が。
発達障害などの理由で、集団生活が苦痛であるならば、相応の教育が受けられる場を探すでしょう。
精神的に追い詰められるようなイジメがあると感じられるならば、学区外でも他の学校へ通うことを選択するでしょう。
そもそも学校が嫌いなのではないのなら、行かせたい。
だったら今のこの町で暮らしたいから、身近に”味方”を増やせばいい。
長女へ向けられる視線に、言葉に、ほんの少しでも優しさや温もりを求めるならば。
身近な人たちとこそ、繋がればいい。
そんな想いが、今の私を支えています。