母とわたし。1
高校を卒業して19歳でわたしを産んだ。10歳年上の父には借金があったらしい。それを知った若い母は怖くなって、父と離婚した。
それから小学校卒業まで母の実家での生活が始まる。
母は完璧主義で負けず嫌いで自分の考えや意見が正しいと信じてる人。
誰かと話すとき「こうやって言いなさい。」と一言一句教えられた。
宿題やテストの前日など隣に何時間も立って、間違えた答えを書くと容赦無く殴られた。
「こんなのも分からないのか。」と。
恐怖で支配されると何も考えられないし、正直ペンなど進まない。
母がチラシを見てて、わたしも気になり一緒に見てるとそのチラシの中に可愛い服を発見したわたしは「可愛いな、これ欲しいな」と言うと、不機嫌になった母に「二度と欲しいなんか口にするな。」と言われた。
わたしが成長していくにつれ殴られる頻度も多くなり、わたしの基本姿勢は正座で俯き意識が遠のくほどの大泣き。
母はわたしの正面に立ち、怒り狂って喚き散らしわたしを殴る。蹴る。
母の怒りスイッチの入った虚ろな目は今思い出してもゾッとする。
わたしは産まれたときから小学校卒業するまで毎日薬を飲み続け、年に1、2回母に連れられ脳波の検査を受けに行っていた。
薬の副作用なのか恥ずかしい話だがほぼ毎日おねしょをしてしまっていた。
わたし自身毎日寝る時間が不安で、あぁ…またやってしまったと落胆する日々だった。
母はこれに関しても毎日溜息と怒りでいっぱいだったが終いには「その濡れた布団で寝ろ。」と言い眠りについてた。
わたしはいつもより怒鳴られなかった安心感でそのまま寝た日もあった。
病院の先生に「からだが大きくなるにつれて薬の量は普通増えていくんだけど、減らしていけそうだよ。偉いね。」と言われた記憶がある。
嬉しかった微かな思い出だが、今となっては、わたしは何であんなに薬を飲んでたのか謎のままだ。
大人になってから、母に一度わたしは何であんなに薬を毎日飲んで、脳波の検査をしていたのか、わたしは何かの病気なのか勇気を出して聞いてみたことがあるが、「あなたは病気じゃない。ただ検査してただけ。」と濁されて以来わたしは未だにわたしが分からないし、なんとなく生きづらい。
因みにおねしょは薬を飲まなくてもよくなった翌朝からピタッと止まったので、やっぱりあれは薬の副作用だったんだと自分では思ってる。
そんな日常の中ふと知ったことがある。母に実は何年も前から彼氏がいたこと。
当時小学生のわたしには理解出来ず素直にショックを受けた。
そんなわたしに母は「わたし家にいないことが多いのに、よくグレずに育ったね。」と笑って言った。
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