母とわたし。2
わたしはストレスで、いつからか自分の部屋で何かの視線に怯えるようになっていた。
夜寝れる訳もなく母や祖母に訴えたが、病院に連れて行ってもらえることはなかったし、「お前の気のせいだ。」とだけ言われた。
親戚の集まりのときに母が母の兄にその話をして「その部屋は前俺が使ってて御札貼ってあったんだよ。」と本当か嘘か分からない話を笑いながらしてわたしをより一層怖がらせた。
ある日、母と祖母が大喧嘩して母が勢いで家を飛び出し全然帰って来なかった。
確かわたしは小6か中1くらいだったと思う。
多感な時期のわたしを祖母1人で面倒見れなかったのだろう、それがわたしにもひしひしと伝わっていた。
わたしは母がいる母の彼氏の家に向かい、事情を説明した。
母はぽつりと「ばあちゃん、はなのこと見てくれると思ったのになあ。」と独り言のように呟いた。
その言葉はわたしにとって「捨てようとしたけど失敗した。」と直接言われたようなものだった。
その母が出した答えが母の彼氏の家に母とわたしが居候することだった。
母とわたしは荷物をまとめて母の実家を離れた。
その家でもわたしは自分の部屋が与えられた。
大きい家ではなかったため隣の部屋から母と母の彼氏の楽しそうな声が聞こえてくるような孤独感たっぷりの生活が始まった。
母の彼氏は母の中で自分が1番でありたい人だった。
母はわたしの前でも関係なく女だった。
最初は晩ご飯も3人で食べたりしたが、わたしは邪魔なんだろうなと思うことが増えていき、わたしはおぼんにご飯を乗っけて自分の部屋でひとりで食べることが当たり前な生活になり、2人と極力顔を合わせないように生活した。
母と珍しく2人でいるときも、母はずっと彼氏との惚気話をわたしに話した。
わたしは適当な笑顔と相槌のみ。はっきり言って親子でする会話ではなかった。
この家でも殴られることはあったがわたしが成長したのもあるし、2人を避けて部屋に篭っていたのもあり前より殴られる回数は減っていたと思う。
その代わり、母はわたしを娘ではなく女として見るようになったり、自分とわたしを比べて、「お前はわたしより劣っている。わたしの言う事を聞いていればいい。お前はわたしの恥だ。外にその面晒すな。」みたいな言葉を沢山投げかけてきた。
高校生のとき友だちの家にお泊まりしに行ったことがあって晩ご飯のときに当たり前のように1つのテーブルに家族が囲って座ってて「はなちゃんもおいで。ご飯食べよう。」と言われたときに涙が止まらなくてその輪に入ることが出来なくて困らせてしまった思い出がある。
その位わたしの感情や感覚は狂ってた。
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