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お伊勢参り

 幼い頃母に連れられ祖父母と共に訪れているこの場所。
この土地にまた来たくても、日常の事に追われて訪れたい気持ちもいつしか薄らいでおりました。

1.行ってみたい

 ある日ふと神社へお参りに行きたいなと思いました。たまたま旅行番組で厳島神社や出雲大社の様子を見て「行きたいな」と、昔の気持ちが再燃しました。

 その年は当寺院にとっても大きな節目の年で、記念行事の準備に追われていた時期でありました。お参りに使用するお供物は、震災で田畑を失い失意の中で何とか収穫できた野菜や米、お酒をお供えする事にとても拘り、地元農家から集めて御本尊にお供え致し、無事行事も終わりました。

 ※この農家の方との出逢いも不思議で、直接現地に行きましたが農協も閉まっていて誰もいない商店街(商店街と言っても町の中心部を通る道路があるだけなんですが)・・諦めかけてた所偶然目の前に車が止まり、「もしや?」と何か予感がして声をかけた・・その方が農家のおじさんだったというオチ

2.偶然は必然だから行動することに‥‥

 周囲の支えもあり無事行事を終えた時、たまたま地元夕刊紙に伊勢神宮へのお参りツアーの広告が載っていました。お盆も近く気になりつつなかなか日程を組めずにいると、今度は地元のTV番組が伊勢神宮特集を放送したり‥‥伊勢神宮‥‥伊勢神宮の名前がとにかく周囲で多くなりました。

 そして、ある方の講演会も名古屋である事も判明し、夫婦で一緒に参加してみようと言う事になり、お盆が終わったタイミングで主人と二人、二泊三日✈️🚃🚌🚍🚕🚃🚌🛳🛩お伊勢参りに出発する事にしました。

 700人余りの講演会では、なんと最前列中央で演者ご本人と談笑する機会も貰い、感激したのですが、その後の日程もどんどん不思議な事が続きます。

3.伊勢神宮参拝

 朝早く鳥羽市のホテルを出発して、伊勢神宮へと向かいました。早朝ホテルで見た風景を撮影したものをこのNoteの画像にも使っております。この写真は朝起きて窓の外からカーテン越しに射す日差しの熱さに驚いて、逆光ですが撮影したものです。太陽の強烈な光を浴びて、念願の参拝へと向かいます。

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 電車🚃で移動する時も、慣れない乗り換えもスムーズでした。

 伊勢の駅に到着しゆっくりと外宮に向けて歩きます。外宮入口の鳥居を抜け、外宮内を参拝しバスを使い内宮へ‥‥
 

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4.魂が歓喜する

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 私は外宮では特に感じるものが無かったのですが、内宮に着き奥へ進むに連れて身体がピリピリしてきました。

 五十鈴川にて川の水に触れた時、その水の清らかさと心が共鳴し身体の外側にピリピリ感じていたものがより強くビリビリに変化しました。
 酸性度の強い温泉♨️に入った時肌がピリピリした経験はありませんか?そんな感じです。

 同行している主人は全く感じていないようでしたが、五十鈴川を過ぎ正宮に向かうと更に痛みが強くなりました。私もこんな事は初めてです。

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 特別参拝の申込はしませんでしたので、一般の方と同じく直接正宮へ向かいました。次回は神楽殿にて御垣内参拝をさせていただけるように準備したいと思います。

 正宮正面、階段の前に立ち礼をして階段を数段上った時、物凄い高揚感が湧いてきました。心の底から魂が歓喜する感じです。
突然号泣してしまって、自分でもよくわからない状況になりました。


 

「やっとここに来ることができた」
 「お会いできて嬉しい」
という悦び・・そしてとても懐かしい思いが去来します。ちょっと別格でした。

 褒めてもらった様な
 これからも頑張りなさいと応援された様な

とにかく色んな思いを全身に受けました
今もこうして写真を見ているだけで、当時受けたエネルギーを今も少し感じます


5.無事に旅行を終えて

帰りの高速船の窓から

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 夫婦二人とも初めて訪れる都市‥‥名古屋市、鳥羽市、伊勢神宮を周り帰りは高速船で空港へ移動の行程でしたが、行く所行く所天候も良くて移動も食事もスムーズで、どんなに混んでいても2人分の席がスーッと空くんです。

 最初はナビアプリを使っていましたが、直感に従って動いた方がスイスイ行けたので、とにかく「来たことあったの?」と言われるほどでした。そして、鳥羽市で泊まった時その日が花火の最終日だった様で知らずに決めた宿泊先だったのですが、思いがけない出来事に感動しました。

 大混雑の「赤福」さんでも11時頃着いたのですが、レジ前の場所がガラガラですんなり座れたり、昼食を取ろうと入った「おはらい町」の「奥野家」さん・・ここも2名分だけカウンター席が空いていて待たずに入れました。

 とにかく不思議な事が多い旅行でしたが、この1か月後私は僧侶としての勉強を開始しますが周囲の状況が変化していきます。

 コロナが発生し世間が騒ぎ始める翌年の2020年1月・・年明けから無性に寂しくて一人で過ごすのが困難なほど精神的に下がっていました。
 寂しくてたまらずこの頃はお参りの祈願には「不安に苛まれる人々への癒し」を求めて「観音経と神力品」を唱えお参りをしていました。

 何がそうさせるのかわからないまま家族にも不審に思われていたのですが、半月経った頃から徐々に中国の報道が始まり横浜港に着いたクルーズ船の事が報道されます。

 そして春には母の病気が発症・・

 きっと私は伊勢神宮の神様に呼ばれたんだな・・今はそう確信しています。

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