井の頭公園、スワンボート
ある土曜の午後、大学の友人と吉祥寺にある井の頭公園に行った。
彼女とは大学に入ってから知り合い、今年で3年目の付き合いになるが、今年度は8月に一度会ったきり半年ほど会えていなかった。
今年の4月、彼女は社会人となり私は大学院生になる。
今まで通り頻繁に会うことは難しくなるだろう。
お互い口には出さないが、それをわかった上でこの感染症が蔓延する中、どうにか安全に会える場所として井の頭公園を選んだのだ。
その日は、ありがたいことによく晴れた日だった。
私たちは井の頭公園に向かうまでの道でサンドウィッチを買い、公園の中にある動物園の前で食事をとった。
その後、軽く散策した後、スワンボートに乗った。
ここでは、このスワンボートについて綴ろうと思う。
井の頭公園には大きな池があり、そこで何種類かのボートに乗ることができる。その中の一つが、私たちも乗ったスワンボートである。
いずれのボートもエンジンなどは一切付いてなく、脚でペダルを漕いで前に進み、自分たちで操縦する。
土曜日の午後ということもあり、多くの恋人たちがボートに乗り、彼氏は彼女のために一生懸命ペダルを漕いでいた(井の頭公園のボートにカップルで乗ると別れるという都市伝説はここでは置いておこう)。
また、家族連れは小さな子どもを膝の上に抱えながら父親と母親がペダルを漕ぎ進んでいく。
20代の女子ふたりで、土曜の昼下がりにボートに乗り込んだのは私たちだけだった。普段なら「友だち同士で乗ってるのは私たちだけだよ〜」と一応の悲観をし合っていただろう。
だが、その日はそんな言葉が一切出てこないほど、とにかくスワンボートが楽しくて仕方がなかったのである。
脚の感覚がおかしくなる程ペダルを漕ぐことも、ボートの中での彼女との会話も、会話や周囲の景色に気を取られたせいで操縦が遅れ、木の枝に激突したことも、ボートの中から池の景色を撮影したことも、普段じゃ信じられないくらい近くにある水面も、昼下がりの陽差しを反射した銀色の水面も、全てが楽しかったのである。それはもう、30分750円の料金では十分すぎるほど、とにかく楽しかったのだ。
スワンボートに乗っていた30分は私にとって久しぶりに感じた非日常だった。電車やバス、自転車、車のような乗り物には通学や買い物に行く際によう利用する。だが、スワンボートに乗る機会なんて普通に生活していればなかなかない。
私たちの住む現代社会では自動運転やたくさんの機能を搭載したエンジンなど、乗り物に関する科学技術が大いに発展している。そんな中、わざわざ観光地において、エンジンも何も乗せず、動かすとこから操縦まで全て人力で行うスワンボートは、ある種時代遅れの乗り物なのかもしれない。
しかし、一切の機械音が聞こえない、この現代社会におけるある種の静寂はスワンボートだからこそ私たちに与えられるのだ。
その日、ボートの中で友人とふたりで必死にペダルを漕いだこと、写真を撮ったこと、たくさん会話したこと、全てが私の中で大事な、大事な思い出となった。
4月からは社会人になって、前ほどは頻繁に会えなくなってしまう友人。
そんな彼女との思い出に、光を反射する水面のようにキラキラした場面を加えてくれたスワンボート。
そんな、素朴ではあるが愛おしさに溢れる井の頭公園のスワンボートに
たくさんの謝辞を送り、このエッセイはおしまいとする。
はな
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