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じゃあね。

いつどこで、聞いたのか。


わからないのに、ずっと残っている。
シンプルで、且つ。
心の真ん中あたりを…


掴んで離さない言葉が、
ひとつやふたつ、
あったりするものだ。















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"じゃあね"と言って、別れたひとよ

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学生のとき。
授業のなかで出逢ったフレーズだったと
記憶してる。


戦時中、昨日まで何ら変わりなく、
『じゃあね』と言って手を振ったひとが、
もう今日には逢えない。
ということを歌った歌の、
一節か何かだった。


強烈に、残っていて、
今も、連れて歩いてる。


今は戦時中でないにせよ。
成長すれば、かなしいかな。
様々な理由で別れなんて、
いくらでも経験する。


必然も、突然も。
自ら望んだり。
望まれたり。


多くの場合、
さびしいことに変わりはない。


愛したひとであれば、
それが喧嘩別れであったって、
そんな結末は望んでいなかったはずで。


双方さびしさを感じるのかもしれないし、
片方だけかもしれないけれど。


”もう逢えない”を、肚で理解したときの、
自分の質量は変わらないはずなのに、
どうやっても押しのけられない、
置きどころのない、
仄暗い、重み。


それは漆黒を選ぶこともできずに、
何かと一体になることもできずに、
しばらく奥底にたゆたいながら、
静かに消えていくのを待つしかない。















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一生の間には、
様々な人や動物、また事物に触れる。
そしてまた、
手も振らずに多くのものと
別れていくのだ。


(北村薫著 『リセット』より)


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手も振らずに。
いつの間にかサヨナラしてる。


さびしいことだ。


成長したからこそわかる。
この理解そのものが、
寂寥以外の何ものでもない。


『じゃあね』といって、別れられたら、
それは、幸せなのだ。


次に会える日が来るのか来ないのか、
たとえわからなくても。


『またね』と言えるその一瞬とは、
どれだけ尊いものなのだろう。


明らかな別れを目の前にして、
『この別れがあるから、次の出逢いがある』
なんてことを考えられるほど、
わたしはオトナじゃないけれど。


それでも。


卒業ができるだけ、
きっと幸せなのだろう。
サヨナラを言えるだけ、
幸せなのだろう。


こうやって、
聞き分けのいいことを書いて。
納得させたい、別れたち。


愛するひとよ。愛したひとよ。


わたしと過ごした日々よりも、
どうか、幸せに。


















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こうして生きてきて、
今また全く未知の"逢えない"を、
全人類が体験してる。


"愛しているから逢えない"


この今感じてる、色に。


何て名前を、つけたらいい。


かなしい。さびしい。
否それだけじゃ、ないね。


もっと、複雑混沌とした、
目を背けたくなるマーブル。


こうして、
もう永久に交わらないかもしれない時間を、
引き連れて歩くことが。


オトナになるということなら。


オトナというのは。


さびしい生き物かもね。


毎度誰かに会える度に、
重々しく邂逅を感じていたのでは、
身がもたないけれど。


それでも。
あなたに出逢えてよかったと、
想う心が、あるならば。




『じゃあね』を贈って、背を向ける。




また、逢えるように。




振り返らないけどその背中に。




できるだけ。




手を振りながら。





flag *** hana



今日もありがとうございます♡





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