見出し画像

孤独な暮らしの先にあるもの

もう少しで在宅勤務の仕事に就いて2年が経つ。この2年間は人と話すのは病院の先生のみ。外出はスーパーくらい。他に欲しいものがあればネット通販を利用する生活。

孤独だ。

病院の先生しか話し相手がいない生活。新しい話題もなにもない。朝起きて、仕事をして、ドラマをみて、夕飯を食べて寝る。ずっとそれを繰り返している。

救いなのは、私がこの生活にそこまでストレスを感じていないことだ。たまに食事に行けるような人がいたらなと思うことも以前はあったが、最近は全くない。外食したいなと思うこともなくなってしまった。この代り映えしない毎日を過ごすのが気楽なのだ。

気楽な生活だが、不安ももちろんある。この孤独な暮らしを今後もずっと続けていった時、私はどうなってしまうのだろうか。人に迷惑をかけずこの先も淡々と暮らしていけるのだろうか。どこかで発狂してしまったりしないだろうかと。

事件のニュースで「容疑者は人付き合いは全くなく孤独な生活を送っていた」というような言葉を聞くたび、震えあがる。孤独な生活を送っている私は将来、他人に迷惑をかけるようなおかしなことをしないだろうかと。

在宅勤務は人に気を遣うこともないし、嫌なことを言われることもないので働かせていただけてとてもありがたいと思っている。でも、嫌でも通勤スタイルにして、もう少し人と関わった方がいいのではないか、という迷いが少なからずある。

私はもともと能力的に社会性が低い。他の人が当たり前にできる、なんてことない会話も私にとっては難しい。みんなが当たり前にできることが難しいというのはとてもストレスだ。「できない」のではなく、「難しい」。頑張ればそれなりに出来てしまったりする。だからこそ、周りに理解してもらうのが困難だ。

在宅勤務となってから、無理して頑張る必要がなくなった。これはとてもありがたいことである。ただ、もともと低かった社会性が本当にどん底まで落ちている実感はある。しょうがないと思う気持ちと怖いと思う気持ち。

ゴミ出しは夜中や早朝にする。近所の人に会うのが怖いから。外食にもいかなくなった。人が怖いし、特に店員さんを呼んで直接注文するような店は怖くて行けない。昔は大好きだったファッションにも興味がなくなってしまった。店員さんに話しかけられるのが怖くてムリ。美容院も同じ理由でしばらく行っていない。

家にこもってばかりはよくないので、散歩にでも出かけた方がいい。それはわかっているけど、外出時にご近所さんや知り合いに会うのがどうしてもイヤなのだ。

最近メンタルの調子が悪く、寝込んだり食欲がなくなることがたまにある。家にばかりいるので自律神経が乱れているのだろう。わかっている。わかっているけど、色々とムリなのだ。

この孤独な生活を続けた先にどんなことが待ちうけているのか、怖くて考えたくもない。色々な不調や不安もありつつ、なんだかんだ孤独な生活を満喫しているので大丈夫なのかなと思っているけれど。

人と関わるのはストレス、でも孤独であるのも不安。本当にASDというのはやっかいだなと思う。社会への参加は大事だと思うけれど、参加しようとがんばっても結局は孤立してしまう悲しみ。一人で楽しめるコンテンツがたくさんあることに救われている毎日だ。

いいなと思ったら応援しよう!