リフレーミングは心からする話
最近、このnoteやSNSの投稿を見た方に
ポジティブですね!と言われます。
実は、最初からポジティブなわけでは
ありません。
むしろ、ネガティブ寄りのことを
ぐちゃぐちゃ考えている人です。
書いて、文章や言葉遣いの癖を直して、を
繰り返していくうちに
文は多少すっきりしてきます。
文の最後にくる結論めいた気づきがうまれるのは
たいてい書きながら、なんです。
文を書くことと
思考のトレーニングになるのが面白くて
続いています。
ポジティブシンキングの罠
以前、様々な人、物、事柄の良い面を
無理矢理探そうとしたり
起こる出来ことに意味づけをしようとしていた
時期がありました。
一時期かかっていたメンタルクリニックの医師に
「そんなことしてたら
病むに決まっているでしょう」と言われ
その時はわからなかったのですが
今ならよくわかります。
感情、感覚がポジティブになっていないのに
頭だけ、思考だけ
無理矢理ポジティブにしようとして
その矛盾が心に溜まっていったら
不調を起こしますよね。
医師に言われたのは15年くらい前のことで
「そういうことか!」と気づいたのは
わりと最近です。
感覚としてつかむのには
ずいぶん時間がかかってしまいました。
感情をいったん横に置いて
視点をずらす
わたしの場合
ポジティブな思考にしていくには
思考をどうしよう、と
自分の中だけで考えているとうまくいかなくて
感情や感覚のレベルで
腑に落ちる必要があります。
そのために
起きている出来事は事実ベースのまま
自分のなかに生じている感情は変えずに
そのまま一旦横に置いてみます。
お茶を淹れてみたり
こんな風に文章にしてみたり。
対ひと、で起きているものごとなら
相手の目線からはどう映っているのかを
想像してみたり。
すると自然に起きていることの全体像や
相手の事情を想像する余裕ができて
思考を変えなくても感覚や感情が変わります。
結果として
思考や文章がポジティブな印象になる
という過程を経ています。
ポジティブシンキング、というより
リフレーミングした結果
ポジティブな面がクローズアップされた
という感じです。
なによりも自分のため
このプロセスが身について良かったのは
なにより自分が楽、ということです。
自分ではすぐにどうしようもないことを
考え続けると、とても消耗します。
これをやめると、もっと他の
やらなければならないことややりたいことに
エネルギーを割くことができるのです。
もちろんそれでも
すっきりしないことはあります。
そこは、ネガティヴケイパビリティを発揮して
すぐになんとかしようとしない。
考えてもわからないことを考えるのに
時間を使うのはもったいないし
良き時がきたらわかる、と思うからです。
それと、あくまでわたしの場合ですが
考えても仕方ないことに気持ちがいくのは
目の前現実から逃避する格好の口実になりがち、ということもあります。
お読みいただき
ありがとうございました。
庭のカリフラワーが大きくなってきました。