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あまりにも暑いこんな日々には

なんだかMr.Childrenの曲名みたいなタイトルになったな。

とにかく、暑すぎるよな。毎日。

私が小学生の頃なんかは、こんな35度とかそういう気温になるのは8月の本当に暑い日だけで。
セミも、シャワシャワシャワシャワではなく、ミーンミーンの勢力のほうが強かったし。
エアコンなんてのは贅沢で、いかにエアコンを使わないかに腐心する母親。
テーブルの上に置かれたカルピスのグラスが、結露してその周囲に水溜まりを作っている。
斜めに差す日差しの中、半袖半ズボンで夏休みの友に向かうけれども一向に鉛筆は擦り減っていない。
絵日記をまとめて数日分書こうとすると、意外と覚えていなくて当たり障りのない日々を捏造する。



そんな、夏が、夏だ。


それでなくとも今や少年のような心は失い、オマケに少年のような体力も無い。
そんな今の自分を、こんな風にひどく蒸し暑い日々は、浮き彫りにしてくる。

試しに息子をご近所さんのビニールプールにお邪魔させてもらっては、帰宅してから泥水のようになってしまった身体とやる気。
涼み癒されに行ったのか、それとも体力をプールの水に溶かしに行ったのか、全くわからなくなった。
もちろん、私は入ってなどいないのに。

これだけ「夏」が主張してきているのに、風鈴とかかき氷みたいな方面の「美しい夏」はこれっぽっちも存在せず、鳴りを潜めている。

あるのはただ、「暑い…」というボヤキばかり。
なんとなく口にしては、夏に乗じて小さく歩き始めたアリンコとともに、足元に落ちて転がっている。

この歳にしてはもう珍しくなってしまった結婚式への参列を来週に控え、お願いされた乾杯の挨拶より、正直新郎新婦のワガママでしかない普通とは違うドレスコード指定より、このとんでもない気候の中でジャケットを着なければならないことが、実は一等うんざりしている自分もいるみたい。

尊敬するのは、こんなにしんどい直射日光を、あろうことか自分の養分にしてスクスク育っている雑草たちの、その雑草の名に恥じない生命力だったりする。
完敗だ。
この過酷な環境の中で、へこたれず成長するその強さを目の当たりにして、涙の数だけ強くなったアスファルトに咲く花のようなその姿に、その昔歌われたメロディがリフレインする。
仕方ないから、少しの間むしるのは猶予してやろうじゃないか。
その感銘に免じて。



私たち弱い人間にできることは、ただただエアコンという、さほど進化したようにも思えない文明の利器のカーテンに隠れ、時間が過ぎ、喉元過ぎるのをまつことだけである。

生きていれば、それで我々の勝ちである。

そうやって、冬が早く来るように、七夕に祈ろうじゃないか。
そして冬になれば思うのだ。
早く夏よ来いと。
毎年毎年繰り返すのに学習しない、ないものねだりな人類の代表です。私は。


とりあえずこのご時世だからこそ開発された涼みグッズでも身につけるかと、首に掛けるΩみたいな形の、素人目には何の意味があるのかチリほどもわからない首輪的なグッズを手に取り、そして、すぐにやめた。

「28℃以下で冷感」

いや、嘘だろ、グッズ、ついていけてないのかよこの温暖化に。


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