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できるできないの基準は人それぞれ

本日月曜日は、介護現場あるあるをテーマにお話ししたいと思います。
最後までお付き合いよろしくお願いいたします。
(文字数:1199文字・所要時間:2−3分)

仕事をしてると、よくこんな言葉を耳にします。
「あの人はできない」と。
他職員に対して、高圧的な態度を取る職員から出てきがちなこの言葉。

ただ、この「できる」「できない」の判断基準は何ですか?誰が決めるの?
っていつも思います。
じゃあその言葉を他職員に投げかけているあなたは、自分で「できている」と思っていても、管理者の私から見たら、「できていない」に分類されるかもしれないよ?ってなるんですよね・・・


こんな話があります。

砂山のパラドックス

ビーチで周辺の砂を集め、砂山を作ったとします。
我々のイメージする砂山はどのようなものかというと。。
前提1:砂山は膨大な数の砂粒からできている。

次に、その砂山の砂を一粒ずつ取り除いていくとします。
1粒取り除いても、そこに存在するのは「砂山」でしょうか?
ほとんどの人は「砂山」であると答えるでしょう。
前提2:砂山から一粒の砂を取り除いても、依然としてそれは砂山である。

では、引き続き、前提2を繰り返し、砂を一粒ずつ取り除き続けた結果、砂山の砂が残り一粒になったとしたら、、、それは、砂山ですか???

いえ、それは砂山ではありません。と答える方が多いのではないでしょうか。
前提2を続けた結果、前提1と矛盾が発生しますよね。

では、、砂山はいつ「砂山」ではなくなったのか。


結論に移る前に、前出の砂山のパラドックスの起源となった哲学者の説をもう一例。

ハゲ頭のパラドックス

全く頭に髪の毛が生えていない人はいわゆる「ハゲ」と言われますよね。つまり

前提1:髪の毛が0本の人は「ハゲ」である。

では、「ハゲ」に髪の毛が1本増えても、その人は依然「ハゲ」のままですよね。

前提2:「ハゲ」に髪の毛が1本生えても「ハゲ」のままである。

ということは、、、髪の毛が何本生えていようと、人類皆「ハゲ」である。私の「まだ、大丈夫だよね」という安心感が、根底から覆されました。。。


そこで結論です。

砂山や禿頭は、定義が曖昧であり、人それぞれ認識が違う。

そう。砂山や禿頭のように、「できる」「できない」の定義も人それぞれです。
そんな曖昧な定義の中で、議論しようとするからおかしくなるのです。

まずは、力量や知識量の数値化が必要。
一つ一つの介護技術動作や介護知識に対して、職員それぞれの現状を把握すること。そしてその中で、次のステージに進むためにどの分野を伸ばすのか?補うのか?
もちろん、職員によって、得手不得手もあるため、管理者が職員としっかりと面談した上で、次に進むべきですよね。

自分のことではなく、他職員のことばかりウダウダ言ってる職員には、毅然とした態度で、「それってあなたの感想ですよね?」と、ひろゆき風に一蹴してしまいましょう!

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!

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