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タイフェスティバル 社会的に不平等な展示を批判する:特定の民族や地域の存在が消されていること


・タイフェスティバルを事例に社会的に不平等な展示を批判する:特定の民族や地域の存在が消されていること


タイフェスティバルの展示には社会的な不平等さがあり、特定の民族や地域の存在が消されていると批判されている。少数民族の展示は軍政による国際福祉と関係する山岳民のものが多く、モーンやムスリムの展示がないことも問題視されています。展示活動は政治的な反映があるため、人権を踏みいじる展示は許されない。そのためには配慮が必要であり、マルチカルチャーな社会を促進する展示企画の重要性が強調される。社会的な不平等への批判や先住民教育の重要性を伝えるためには、当事者主体の私営博物館による展示が必要だ。博物館学芸員としての責任を果たすために、社会貢献によって評価されることも重要だ。引き続き、皆様のご支援をいただきながら、さまざまな展示企画を実現していきたいと考える

1. タイフェスティバルへの期待と失望

今月、代々木上原にてタイフェスティバルがあった。行った理由はタイ人インフルエンサーのミミさんに会うためであった。会場へ行くも日本一来場者が多いいイベントである。このため電波が混線し連絡が途中からつけず会えなかった。

https://x.com/mimipyon_/status/1788144576940888449

しかしムスリムの来場者がいても、南部ムスリムの展示がない。次にいつも通り、少数民族=山岳民という展示ばかりである。クレット島の陶器があったが、1990年以降のカビが生える食器を売っていた。コラートのダンクイアン村という政府が先住民の地域として認めているモーンの村も彼らの財産ともいうべき土の染物はあったが、彼らの村であるとはパネルには書いていない。クレットもそうだがモーンの存在が消されていた。むしろほかのブースは山岳民族の福祉ばかりが宣伝され、政治問題を伴う不平等さを感じた。


2. 展示に見え隠れする政治的メッセージ 少数民族の展示

大使館の職員であるこの泥染の職員に話したが、問題を理解できず笑ってくる。断片的だったが、かくかくしかじかの問題があるとわかりやすく話し、相手は部分的にわかってくれたようだ。とくに国連の先住民宣言などにある彼らの地位向上と主体性の回復に向けた教育の規約を話した。笑われたのが嫌だったので、この先住民教育の規約を話した上で日本では(岡山理科大のある徳澤教授を除いて)私ひとりで主に活動しておりその規約に則り先住民教育向けの学芸員資格を取得しているのだと言い返してやった。相手は「すごいです」の一言を言った。


しかし、博物館学からみた時、展示は必ず政治の反映があると知る。万博の主催国や大使館の展示には国の思想が国際社会に宣伝される。これはフランスの通産省が主催だったパリ万博の時からこの問題は変わっていない。人類の社会生活とは政治という面が常につく。だからといってパリ万博の人間動物園(生態資料、動物としての少数民族の展示)にルーツがある彼らの人権を踏みいじる展示活動はあってはならない。


3. 少数民族に対する人権侵害を考える 

博物館学からみた時、展示は必ず政治の反映があると知る。万博の主催国や大使館の展示には国の思想が国際社会に宣伝される。これはフランスの通産省が主催だったパリ万博の時からこの問題は変わっていない。人類の社会生活とは政治という面が常につく。だからといってパリ万博の人間動物園(生態資料、動物としての少数民族の展示)にルーツがある彼らの人権を踏みいじる展示活動はあってはならない。

Facebookでクレットの親方にこんなおかしい展示があったと伝えた。当然ながら掲示板では島民が煙たがっているようであった。展示品の陶器とはいえない土器だけシェアされた。
 まるで40年前の現代アイヌを伝える展示ができなかったことに対する当時の市民の認識と似ている。多くの市民にとって「厄介ごと」だと誤認識された。厄介ごとである問題を未来永劫に放置すれば民族同化されて解決できると認識され、多くのアイヌの人権を傷つけてきた。放置する人々にはアイヌもいた。いまもこの名残で様々な人々から片親が和人であるアイヌ文化伝承者や和人の先住民教育活動家に対する攻撃がある。
 案の定、親方のチャットには絵葉書が来た。そこには「金がなければ貧乏はない…仕事がない…」と彼らが困窮した挙句に人心荒んでいる状況を伺えるメッセージだった。「教育がなければ仕事もなく金もなく本当の幸福ではない。本当の幸福とはお金だけではない。私は文化伝承者だったオットーのような教育家になる」と私は言い返した。「👍(いいね)」の返事が来て丸く収まった。インスタに大使館の展示問題を投稿したところコロナ禍でタイ民主化問題を展示活動で抗議していた画家や日本語が話せるタイのモーンの友人から賞賛された。


4. タイフェスティバルが抱える社会的な問題

 またタイフェスティバル会場のNHKブースにはタイ人アナウンサーがいた。アナウンサーのティダーラットノイスワン先生がいた。彼女はタイを含む東南アジア(とくにミャンマーとインドネシア)の近現代史で迫害、差別あるいは虐殺の対象となっていた華人系であり、私のタイ語のタイ人恩師である。ノイスワン先生に東京外大オープンアカデミーについて聞かれた。あるタイ人教師による華人に愛国心を持たせるためのサンスクリット語名の変更、日本人僧侶への差別は良いことだと遠巻きに教え込まさせる文面を読まされたことを話した。彼女は泣いた。ノイスワン先生はあるタイ語の教材でタイの民族の多様性を語るCDを録音したことがあり、華人やモーンにルーツがある人々を紹介した。泣くのはなおさらである。その上で、このタイフェスティバルを通してタイは民主化問題のせいで「多様性」がないと伝え、彼女もおかしいという。

学芸員の見習いとしての責任

 ただし私はミャンマーのモーン団体のような極右ではない。次回以降に話すが戦後の網走に疎開した樺太先住民ウイルタ族の文化財を守った日本人学芸員も利益誘導による彼らの権利を踏みいじる問題に対して観光課、出版会社などに抗議して彼らの権利を守った。並びにウイルタ当事者の博物館館長も他のウイルタに反発を喰らっていた。私はあくまでも学芸員の見習いとしてやっただけである。博物館学芸員の仕事は常に市民やさまざまな利害関係がある。利害関係を解消するには合意形成である博物館のミッションの作成が重要である。つまり博物館なりの「公共の福祉」の答えを持っていなかればならない。私は公共の福祉のためにやっている。

文末のまとめ

・. 社会的に不平等な展示を批判する:特定の民族や地域の存在が消されていること
・先住民教育の重要性を伝える:先住民の主体性や文化の尊重、教育機関の取り組みに焦点を当て、具体的な行動を提案する。
・展示活動における配慮の必要性を示す:人間動物園のような活動は許されず、より尊重されるべき展示方法を提案する。
・マルチカルチャーな社会での展示の重要性:異なる文化や民族の展示が相互理解や対話を促進し、平和と協力のための基盤となることを強調する。

私は1. 社会的な不平等な展示への批判2. 先住民教育の重要性と彼らの主体性3. 展示活動における配慮の必要性と人権の尊重4. マイノリティの視点からの展示企画の必要性少数民族の展示を行う博物館が必要だと考える以上、学芸員の見習いとしての責任についてお伝えた。




博物館学芸員の仕事は常に市民や利害関係者との調整が欠かせません。私は社会的な不平等な展示への批判、先住民教育の重要性、展示活動における配慮の必要性、マルチカルチャーな社会での展示の重要性に取り組むべきだと考えています。博物館の再経営には賛同者からの寄付が不可欠ですが、ICOMの規定により社会貢献によって評価されることも重要です。今後も皆様のご支援をいただきながら、さまざまな展示企画を実現していきたいと思います。引き続き、他の記事やnote更新もぜひチェックしてくださいね!

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