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モーン族の古代遺跡と聖山を紹介する番組に監修した学者 柿崎一郎先生



1. モーン族の古代遺跡と聖山を紹介する番組に監修した学者


先週の日曜日は横浜へいき根元敬先生に会ってミャンマーのモーン族とJICAの都市開発と先住民問題およびその背後にある日本財団の右翼政治家について昼食会で教わり、

そのような深い闇の話を聞いたイベントが終わってから、自宅に帰ってテレビをつけたところ、TBSの世界遺産番組のエンディングで「監修柿崎一郎」という名前が表示されていて驚いた。それは私が日本タイ学会でお世話になっている先生の名前だった。喜びが湧き上がり、手紙を書くことを思い立った。しかし、カンボジアに飲み込まれたタイの遺跡が何なのかわからなかったのだ。
数日後、ネットで調べてみると、なんとこのモーン族の先祖が作った宗教施設だとわかった。ネット記事によればこの遺跡はタイ人がくる前からいたモーン族が作ったと明記されていた。

https://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20240929/

3柿崎先生のタイ通史での先住民族の紹介



柿崎先生は日本タイ学会に所属し学会長を経験した有名な先生である。東京外国語大学出身で学んだエキスパートであり、現在横浜市立大学でタイ交通史について研究、教育に従事しています。そもそも柿崎一郎先生がモーンに興味を持ったのは私との出会いがきっかけである。それはタイから帰国して松沢病院の虐待で私が壊れ人生をやり直そうとした時で研究生を探そう日本タイ学会に入会したのがきっかけである。それは文化伝承者であるオットーやシリムアンが健在だった時である。スリーエスエデュケーションや恩師であり、現在の指導僧である奈良修一先生の推薦により、日本タイ学会に入会に至った。手紙にしたため送り、ズームでの面接で何を研究しているのかを伝えた。地域住民から「彼らは先住民ではなくビルマ人」と差別されJICA及び日本政府に「都市・鉄道開発」という無言の民族迫害をされていることを訴えた。
そして柿崎先生の素晴らしい著書『一冊でわかるタイ史』という本が出版された。この本にはモーン族はタイ族がくる前からいる先住民族であると明記されている。書いたのはおそらく二つの理由がある。一つは鉄道が迫害を招いたからである。もう一つは、どの国でも通史はマイナーな民族出身の政治家がナショナリズムを利用し、人々を統合するための道具になりがちであるが、その結果として少数民族や先住民族の存在が否定されてしまうことに対して抗議をしたかったのかもしれない。柿崎先生は、この一冊の本にあるたった1行の文章を通じて「同一の政治」に立ち向かったのだ。柿崎先生は、官学の立場にありながらも社会を変えるという信念を持っている。この一冊の本にとどまらず、テレビでもその信念を継続して表現している。彼の言葉はもしタイ語ならばきっと迫害されている彼らの言葉に深く響き、感動を与えるのだ。私は感極まり、手紙を書くことを決めたのだ。

3. イッテコイ窯の完成と窯業の保護への取り組み

手紙ではまず監修したことに関して祝辞をあげた。その上で、クレット島の観光広報をするthis is khokred がモーンが先住民族であることを否定する差別発言に対して「モーンはビルマではない」と抗議の声をYoutubeであげたこと、築窯がほぼ終わったと伝えた。その上で、窯は神棚であるためシャーマンないし僧侶を派遣さらに職人の派遣をどうすれば良いのか相談した。ならびにシーテープ遺跡とモーン族の文化財活用に関して質問をした。また過去にあった例の東京芸大学生による詐欺被害にタイ学会が巻き込まれている故に、一緒に活動している母の手紙を一筆添えた。もし窯が完成し陶器を焼けるようになったらこのようなことをやっても良いかなと夢想している。

- 少数民族問題を取り上げ、国際社会に向けて情報を発信するキャンペーンを行う。差別撤廃を訴えるパネルディスカッションやモーン文化の紹介イベントなどを開催することで、社会的な意識を高める。
- 柿崎先生やタイ住みます芸人あっぱれ小泉さんの協力を得て、モーン族の遺跡と聖山を訪れるツアーを企画する。タイの古代文化とモーン族の歴史を学びながら、観光客が彼らの文化に触れられるようにすることで、彼らの存在をより多くの人々に知ってもらう。
- モーン族の窯業を支援するため、日本の窯業文化との交流イベントを開催する。モーン族の技術や作品の展示、ワークショップなどを通じて、日本の職人(とくに読谷村)との交流を促進し、モーン族の窯業の価値を広める。
- 日本の学者、特にタイに特化した研究者たちによる研究交流会を開催する。タイの歴史、文化、民族に関する研究者同士の交流の場を提供し、異なる視点からの研究成果を共有し、相互理解を深めることを目指す。
- モーン族の若者たちに対し、教育支援プログラムを提供する。国内外の奨学金制度やインターンシッププログラムなどを紹介し、彼らが自らの能力を高める機会を提供することで、彼らの社会的地位向上を支援する
-なにより博物館を再経営する

4. 日本の学者と学会のあり方

クレット島に携わる学者たちのほとんどは、御用聞き学者になることを目指し、JICAや日本政府、そしてタイやビルマの独裁者のお世話になりながら研究を進めている。慎重さは学者としての生き方において重要な要素です。しかし、中には劣悪な学者や留学生も存在します。彼らは観光的利益誘導に熱心に取り組んでおり、その結果、現地の文化は形骸化させてきた。さらには、カセサート大学に在籍する学者の中には、モーン語の研究を犠牲にしてまで利益を追求する者や嘘の新聞記事を投稿した留学生ももいます。また、矢島律子のように政治活動だと、私にレッテルを貼る人々もいる。私はこのような日本の大学や学者に対して絶望を抱いている。しかし、ささやかながらも勇気を持って立ち向かう先生が一人いらっしゃる。それは柿崎一郎先生だ。彼は先住民族のために真摯に向き合い、冷静な視点で問題に取り組んでいる。彼の姿勢に私は深い敬意を抱いている。

クレット島での学者たちの状況や問題点を紹介しましたが、中には真摯に取り組む柿崎一郎先生のような方もいます。彼の姿勢に敬意を抱きつつ、学者としての大胆さや先住民の権利にかんする国連宣言について考えるべきです。また、今回の記事が趣味を仕事にしたい人たちの刺激や発見に繋がり、さらなる成功への一歩となれば幸いです。是非、他の記事やnote更新もお楽しみください!

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