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本田忠勝のはなし

ー鎧編①ー

今回は平八郎殿が戦に出陣する際に身に着けていた鎧
「黒糸威二枚胴具足」および附属する兜「黒漆塗十二枚筋兜」のおはなし。

1.御姿

甲冑のはなしなので、実際に見ていいただくのが一番だが、画像の無断転載は大罪である。(まぁ、ネット上ではたくさんアレされているが…)

鎧「黒糸威二枚胴具足」および附属する兜「黒漆塗十二枚筋兜」は、
「三河武士のやかた家康館」が所蔵している(常設ではない)。

また甲冑姿の平八郎殿の肖像画は、「千葉県立中央博物館大多喜城分館」で拝見できるそうだ。

しかし、どうにか罰則を受けずみなさんに甲冑姿の平八郎殿をご覧いただきたい。
そこで、ブロガーの強い味方・フリー素材で平八郎殿を捜索した結果…
なんと平八郎殿のフリーイラストを発見致したので、みなさんがイメージを膨らませ易いよう、ここでお逢いしていただこうと思う。

みなさん、こちらが本多平八郎忠勝殿にございます。

めちゃくちゃポップ!!
しかし、平八郎殿ファンから言わせると、割と忠実なイラストと言える。
キッとした眼瞼やwith蜻蛉切なところが、平八郎殿然としていて嬉しい。

では、ポップ版平八郎殿に逢っていただいたところで、まずは兜について、おはなししていきたい。

2.兜「黒漆塗十二枚筋兜」について

 1)大鹿角の脇立(わきだて)
  イラストのように、兜にあしらった黒い大きな鹿の角の脇立が目立つ。
  この大鹿角にはいくつか謂れがあるので、そのひとつを紹介したい。

 ・平八郎殿13歳、場所は桶狭間、元康(家康)様と三河に帰ろうとしてい
  たところ、増水した川が一行の行く手を阻んだ。
  必死で渡れる所を探す一行の前に、突然立派な牡鹿が現れ、渡れる浅瀬
  に導いてくれたという。

  平八郎殿は「あの鹿が元康様を助けたように、自分も元康様を守る存在
  でありたい!」と、兜に立派な鹿角の脇立を立てたとのこと。

  また平八郎殿だけではなく御存知・真田信繁(幸村)殿や山中鹿之助殿
  も、兜に鹿角の脇立を付けている。

  その理由としては、鹿は古来より「神の使い」であり「力」の象徴とさ
  れているからである。
  平八郎殿も、桶狭間の帰路で導いてくれた牡鹿は、伊賀八幡宮の使いと
  思ったそうで、自らの兜に神の力を宿らせたいと思ったに違いない。

 2)獅噛(しがみ)の前立(まえだて)
  イラストの兜には、前立と呼ばれる部分に、かわいらしくこちらを向い
  ている「なにか」がいるのがおわかりいただるだろうか。

  イラストではとてもかわいらしいが「なにか」の実際は霊獣・獅子で、
  歯をぐぐっと噛んでいる様子であり、力強さを表している。

  鹿角の脇立同様、他の武将の兜にも獅噛は使用されている。

  前立の霊獣・獅子にも大きな両角があり、大鹿角の脇立の前に位置する
  ことで立体感が生まれ、より力強い印象を受ける。

 3)背景
  そもそも平八郎殿は、なぜこのような目立つ兜にしたのだろうか。
  須藤茂樹氏解説の「ビジュアル選書 戦国武将変わり兜図鑑」(p.117
       ~p.118)より引用すると

  変わり兜登場の背景には、武士たちの美意識や信仰をみることができる
  が、その斬新なデザイン感覚に驚くばかりである。-中略ーこのような
  奇抜な装いを兜に仕立てたのは集団の隊列のなかで、また戦闘が大規模
  していくなかで多くの将兵が入り乱れるようになるが、自己の存在の標
  識として、否自らの活躍を際立たせるために工夫こらしたのである。

  戦場で目立つということは、「あの兜は本多平八郎忠勝だぞ!大将首を
  討ち取れーー!」と武功を目当ての敵武将が群がって来くるということ
  である。
  
  しかし、そんなことは承知の上で身に着けているのだ。
  群がる敵はすべて返り討ちにする所存。
  それが本多平八郎忠勝なのである。

  目立っていても尚、生涯57度の戦では無傷だったのである。
  とにかく強い…そしてかっこいい。

3.終わりに

兜だけで結構なボリュームになってしまったので、鎧「黒糸威二枚胴具足」については次回ー鎧編②-に分けておはなしする。

みなさんの脳裏にそれぞれの平八郎殿が出来上がっていくことを願って…

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