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こんな私が事業承継を決意するまで① ~2年前のG.W~

きっかけは
「脱サラして自分で商売をやってみたい」誰もがそんな想いを抱いている様に、私も漠然と思いを巡らしていた。何をやれば良いのか模索をしていた。
(はやくサラリーマンを辞めたいというのが本当なところだろうか)

 そんな時、叔母が経営をしている刃物問屋を継ぐのはどうかと自分の中で閃いたのです。この刃物問屋は祖父が浅草で創業をし今年で創業88年を迎える老舗ですが、時代の変化と共に地場問屋の存在価値は薄れ、昔ながらの問屋は廃業が余儀なくされている状況でした。

 丁度、実家に帰省をした折にそんな話を母と話していたら、叔母の会社の経営は厳しい状態で後継者もおらず、このままでは廃業となってしまうと聞かされる。小さな頃から馴染みのあった浅草の刃物問屋が無くなってしまう、居ても立っても居られないなくなり、翌日には叔母の元を訪ねて仕事を手伝いたいと伝えていた。

 叔父が2代目として事業を継ぎ30余年事業を守ってきたが、その叔父が病に倒れ叔母が事業を継いで今まで頑張ってきた。そこにあのコロナがやってきた。緊急事態宣言に伴いリアル店舗が中心だった得意先の売上は半減、更に物価高騰により利益率は悪化し厳しい経営状況が続いている。
中小企業には大きな試練であり、高齢の叔母には大変な状態であった。

 今まで約20年間、大企業サラリーマンの営業として培ってきたスキルを活かし、事業承継と再建を実現させることを私の第二の人生にしても面白いのではないか、と自分の心でそんなことを考えていた。但し、本当に事業を承継するとは思っていなかった。厳しい経営環境に置かれている中で、安易に事業を継ぐことは出来ないというのは当然である。

 まずは仕事を手伝い、会社を知り、そして事業再建の可能性はあるのを、動きながら考えてみよう。というのがはじまりである。
叔母は仕事を手伝うことは了承してくれたが、仕事や環境は与えられる訳ではなく自分で切り拓いていくしかなかった。
 会社に顔を出して、従業員の皆さんに入り込むことから始めたが、
当然、Welcomeではなかった。無償で仕事を手伝いにいくのだから、きっと救世主の様に喜んでもらえると思っていたのは大間違い。まったくその反対で、従業員は今の環境を変えられたくない、そして経営状態にも危機感を感じてはおらず、私を受け入れてもらうことは難しかった。会社に顔を出しても協力をしようという動きはなく、当然、ミーティングなど出来ない(今までやっていないので、わからないというのが正解) 

 刃物の事は全く分からない、会社の協力も引継ぎもない野放しの状態で、会社を再興させなければいけない。暗中模索ではあったが、第二の人生の為に、ときには人数分のコーヒーの差し入れを持って、会社に顔を出すという事だけを始めたのである。従業員の皆さんとミーティングがしたい、それがはじめの目標だったが、それが難しいのである。
事前に分かってはいたことではあるが、大企業との仕事の進め方の違いを受け入れる事が、私の最初の難関になる。

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