力加減の話

昔からなかなか両極端な性格をしているせいか、好き嫌いがかなりハッキリしているしそれが言葉や表情にも割とわかりやすく出てしまうのがおれ。


今でこそ角が立ちにくい言い回しができるようになってきてはいるが昔は"好みでは無い=嫌い"と言ってしまうこともしばしばあり反感を買ってしまうこともありましたね。
自分の考えに固執しているゆえ少しでも感覚が合わなければ"間違い"・"敵"とみなし攻撃的な気持ちになり野良猫のようにシャ-シャ-言いまくっていた(だから友達がいなかった)

逆に自分が好意的に思った物や人に対しては"自分の中で絶対的な存在"として扱い、場合によってはかなりの依存体質にもなっていた。
これも悪く捉えた時に相手の意思や気持ち関係なしに猪突猛進になってしまい迷惑に感じられていた事もあるなぁと。



溺愛するかぶん殴るか、怖すぎワロタ。



でも好きや嫌いといった感情ははっきりあった方がいいとは思っていて、その気持ちを曖昧にしてしまうと好きかどうかわからず好意的に感じていたものが離れていってしまったり、相手に嫌いが伝わらずにいつまで経っても纏わりつかれて不快な気持ちにもなりうるっていうのがそれなりに生きてきて学んだ事だ。


自分が極端な性格であることを自覚した時に"やり過ぎてしまう"事への恐怖や不安から自分の気持ちに蓋をしてしまい自分が何を考えているのかわからなくなり病んだりもした。

苦悩しながらも、良くも悪くも自分が他人にしてもらったことを直感的に受け取ることはやめて、自分の言動をを客観視して一旦無理にでも変えてを繰り返していった結果、最初にも言った通りある程度は力加減は覚えてきたかなって。
実際「最近優しくなった」「言葉のチョイスがマイルドになった」など言ってもらえてやってきた事は間違いではなかったと安堵している。

"好き"は恥ずかしがらずにキッチリ発信し、人には直接伝えて、"嫌い"は容姿なく捨てる、相手にしない事で本当にここ2.3年は昔ほど人間関係でストレスを感じなくなってきている。


よかった。


純粋に人に感謝出来るようになったし、恵まれた環境に身を置いてる自分にも自信を持てるようになってきた。


嬉しい。


尖り散らかしてる頃からおれを知ってる人からしたら
「なんか変な宗教にでも入ったのか、、、?」
と間違われるかも笑(実際に言われた笑

自分がどれだけ好意を寄せても届かない事もあるし、なんなら自分の事を苦手もしくは嫌いだと思ってる人がいて当たり前と思えるか。
ぶつかり合っても伝え方によっては理解し合えるということに気づけるか、そのために今までの自分を曲げれるかで今後のストレスが変わってくる。


もうアラフォーでようやく気づけたから若くしてそれに気づいて変えれてる人は尊敬する。
"今更"って気持ちも一瞬よぎるけど、まぁここからが勝負ってことでこれからも気持ちにメリハリつけて上手に生きていくぞというお話でした。

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