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医学情報をどう受け取るか

医学系の本を読んでいたら、HPVワクチンの話に出くわした。一般には子宮頸がんワクチンとして認知されているこのワクチンだが、2020年のある研究によれば、有効率は63%、年間では、子宮頸がんの発症を10万人あたり5人から1人に減らすことができるらしい(青島周一『薬の現象学』)。

パーセンテージに直すと、接種なしで全体の0.00527%が発症し、接種ありだと0.00073%「しか」発症しない。7倍くらい効果が違うわけですが、逆に、発症しなかった人の割合は、100から引くので、未接種で99.99473%、接種有で99.99927%ということになる。

あれ、案外そんなものなのか、ほぼ誤差みたいなもんじゃないかと思い、手元にある岩田健太郎先生の著書『ワクチンは怖くない』をひらいて、HPVワクチンの該当箇所を読んでみる。以下、愛称を込めて「イワケン」と呼ばせていただきたい。

イワケンの結論からいうと、HPVワクチンは積極勧奨すべきである。副作用のリスクもあるが、ベネフィットとリスクを天秤にかければ、全体としては女性の健康に寄与するところが大きいという判断です。

この本は少し古くて2017年のものなのだが、著者はその時点でのHPVワクチンに関する様々な研究結果を挙げながら、ワクチンの有効性を確認していきます。

ベネフィットを示唆するエビデンスをいくつか紹介しつつも、イワケンは誠実な人なので、「エビデンスはあるが実はその数は限られている」とか「接種からせいぜい3年後あたりまでの経過しかフォローできてないので、その後5年10年で確かに発症しなかったかどうかはわからない」など、研究の限界もちゃんと指摘している。全死亡率で評価すべきという神経質なイチャモンにも、「リアルワールドの医学ではそこまで期待すべきじゃない」と、潔く限界を認めてしまいます。


副作用と医学の限界

その上で、ワクチンのリスクについても確認していきます。接種直後の有害事象にもざっと触れながら、特にHANS(ハンス症候群)と呼ばれる副作用にスポットライトが当てられる。

HANSは、医師の西岡久寿樹氏が提唱した病気とのことで、説明によれば、全身疼痛に始まり口内炎、記憶障害、関節炎、学力低下、自律神経障害、睡眠障害などの様々な症状が含まれているようです。

イワケンは、西岡氏のこの新しい「仮説」や、実際にそれらの「副作用」で苦しんでいる人々に対して一定の理解と配慮を示しつつも、この見解はやはり非科学的だとして退けます。まあ個人的にも、こんなんいくらでもイチャモンつけれるよなと思います。イワケンも「発症前に食べた食事のせいかもしれない」と懐疑的。

その上で、しかし、イワケンはさらっとこんなふうにも言っている。

なかには39ヶ月後に発症した、とありますが、ではなぜそのような長い時間が経過したものを「ワクチンのせい」と結論付けられるのでしょう。

岩田健太郎『ワクチンは怖くない』p.57

一見もっともなことを言っているように見えますが、しかし立ち止まって考えてみると、ワクチンの「せい」という物言いは、ワクチンの「おかげ」という表現に置き換えても、十分通用してしまうのではないか

イワケンは、ワクチンの「おかげ」で子宮頸がんの患者を(わずかながらでも)減らせたと主張しています。本書の記述を読んでいる限り、ワクチンの効果に関するエビデンスは、少なくとも数年間、接種者を追跡して「ああ、たしかに発症しませんでしたね」と確認してから作成されている。でも、このことだけとれば、先の「39ヶ月後などという長期の経過でワクチンの『せい』と結論づけるのはおかしい」というのは、そっくりそのままワクチンの効果を証明したとされるエビデンスの方にも向けられなければならない。ワクチンの「せい」が非科学的なら、ワクチンの「おかげ」も同様に非科学的なんじゃない?という素朴な疑問です。

時間的近接性のない事象に関する因果関係の評価はたしかに慎重であるべきです。ならば、ワクチンのいわゆる「効果」だって、因果関係ではなくただの相関関係、状況証拠にすぎないかもしれない。

科学的厳密さを追求するなら、ここで、HANSと呼ばれる症状が、ワクチンを打たなかった人でも同様に一定の割合で生じていないかを調べる必要があるでしょう。イワケンも「もしワクチンのせいでHANSが起きたのであれば、『ワクチンを打たなかった群』との比較が必要です」(p.58)と反論している。

いわゆるランダム化比較試験(RCT)ですが、しかし、ここで改めて立ち止まって考えてみると、それは、HANSを提唱した西岡氏に対してではなくて、ワクチンの効果を証明したとされる論文、エビデンスの方に対して本来は要求されるべきものではないか。

もちろん、「本来」というのは仮の概念です。医学的には、ワクチンが当該の病気を防げたかどうかだけ判定すればよい。いわゆる副作用として、HANS的なものも含め、子宮頸がん以外の病気や体調不良に悩まされる事例もそれなりに出てくるし、本来は、そういうリスクに対しても同様にRCTを行って、そこまでやったのちに「やっぱりベネフィットがリスクより大きいのでこのワクチンは推奨できます」と言わないといけない。


専門知の脱構築

でも、書きながら思いますが、これはとんでもなく大変で要求が高すぎるのも事実です。子宮頸がんというターゲットが明確であれば、効いたか効いてないか白黒つけることができる。しかし、「接種からだいぶ経ちましたけど、子宮頸がんとは別になんか不調になってませんか?」と訊いたところで、それはあまりに範囲が広いし、把捉が困難です。患者も答えづらいし、逆にどうとでも答えることができてしまう。子宮頸がんのCIN2検査のように、他のあらゆる項目について検査してみてもいいですが、それもそれで「なんかやりすぎ」と思うわけです。

医学になんでもかんでも要求するわけにはいかない。それを認めた上で、それでも問う必要があると思うのは、「子宮頸がんさえ防げればそれでいいのか?」という視点です。研究者や専門医としては、自分が取り扱っているお得意の病気を減らせればそれでいいのかもしれませんが、患者からしたら、子宮頸がんであろうが何であろうが「できるだけ健康で居続けたい」というのがプライマリーな問題意識でしょう。医者はしばしば「◯◯の病気で苦しむ(死ぬ)人を減らしたい」と謳うわけですが、しかし人間は、老病死を運命づけられた存在なのであって、子宮頸がんにならなくてもいずれ膵臓がんにはなるかもしれないし、膵臓がんで死ななくても脳卒中で死ぬかもしれない。ある病気になる可能性を減らすことは、別の病気になる可能性を増やすこととどうしても連動してしまうわけです。

このあたり、医学の限界と健康の最大化という視点でもう一度考えると、医者ならざる一般の人間としては、エビデンスとしては可視化しづらい「見えざるリスク」を、医学的介入のベネフィットから差し引いて判断することに一定の合理性が帯びてくるのではないか。

ワクチンで子宮頸がんのリスクは(わずかながらでも)減らせるかもしれない。しかし、この医療的介入そのものが「副作用」として別の病気をもたらすリスクも一定程度存在し、しかもそれは医学のエビデンスではなかなか把捉しづらいものでもあるのだとすると、差し出されたベネフィットを塩梅に割り引いて評価するのが「良識的」スタンスといえるのではないか。

冒頭で指摘したように、そもそもワクチンの効果は0.00527%のリスクを0.00073%に減らす程度のもので、これ自体個人的には「極めて小さい」ものと考えますが、エビデンスとして計上されないリスクを差し引くと、その効果はもっと小さくなる。いや最悪、引き算するとマイナスになって、リスクの方が大きいという結果になることすらありうると。

こうして医学のエビデンスを(素人なりに)批判的に考察してみると、「あるとしても小さい効果」が、さらに小さいものとして評価できそうな気がしてきます。ここまでいくとベネフィットであれリスクであれほとんど誤差なんじゃないかというレベルになるわけですが、しかし実は、(残念ながら)まだ話はこれで終わりじゃないんですね。


研究のバイアス

医者の大脇幸志郎先生は、シラスの「なぜテレビの健康情報のほとんどはまちがいなのか」という放送で、医学研究はバイアスが思っている以上にかかりやすい旨を指摘しています。詳述は避けますが、RCTやシステマティックレビューなど比較的洗練された手法を使っても、真実が得られるわけではない。この喩えが正確かはわかりませんが、感覚的には、たとえば他の手法が100点満点中30点くらいの精度しかない中で、RCTやシステマティックレビューなら40点、50点取れたぞ!と威張っているようなものかもしれません。どっちみち「落第」であることに変わりはない。

ランダム化比較試験というよくできた方法を使っていても、いろんなところにバイアスが混じり込んでくるもの。だからまあ、バイアスをなくす方法というのは、ありません。どんな実験をしても必ずバイアスはあると考えておくことこそが大事

大脇幸志郎「なぜテレビの健康情報のほとんどはまちがいなのか」

これまで「神経質に」イワケンの話を追ってきたように、厳密に科学的な意味でワクチンの効果を評価するというのは、それを誠実に遂行しようとすればするほど、厳しい「いばらの道」が待ち構えている。副作用のリスクを過小評価すること自体もバイアスですし、せっかく作ったワクチンを、ちょっとでも効果が出てるように見せたいという動機は、彼らも仕事ですしまたれっきとした人間なので、まあ理解できなくもない。しかし、それがバイアスであることに変わりはないわけで、それでもって科学的に正当な研究をしたんだと豪語するのは控えなければならない。イワケンは、ワクチンの副作用をめぐる捏造論文を槍玉に挙げてその非科学性を断罪したりしていますが、ワクチンの効果を謳う元の論文自体も、まあ相当バイアスにさらされているという相場観はちゃんともっておいた方がいいと思うんですよね。

したがって、HPVワクチンの効果は、繰り返しになりますが、元々極めて小さい(0.00527%→0.00073%)上に、可視化されづらい副作用リスクを加味するとさらに小さくなる。さらに、一般に医学研究には一定のバイアスがかかるものだという相場観も適用すると、果たして、このワクチンに正味どれほどの意味があるのだろうかと、いささか懐疑的にならざるを得ないわけです(そしてこの種の懐疑は、当該のワクチンに限らず、ざっくり、医療的介入全般に対して向けることもまあ可能でしょう)。


効果はあったとしても極めて小さい

イワケンは、HPVワクチンの説明を締めくくるにあたって、「ワクチンを打たない自由」も尊重すべきとフォローします。医者にできるのは客観的な説明であって、「推奨はするけど強制はしない」っていう sober な態度こそが、医療のあるべきかたちであると。

ワクチンの利益とリスクは計算できますが、その価値の大小は個々人の問題です。(・・)我々には「健康に生きない」権利すらあるのです。

岩田健太郎『ワクチンは怖くない』p.67~68

これはこれでもちろん正論なんですが、一方で、この書き方だと、あたかも「太く短く生きるか、それとも細く長く生きるか、それは人それぞれだよね」と言ってるみたいに聞こえてしまう。でも、数字を素直に見る限り、太く生きようが細く生きようがフツーに長生きできてる、っていうのが実態に近いわけです。

接種有無による発症率の違い(単位:%)

ワクチンがなくても99.99473%の人は発症しない。ワクチンを打つことのベネフィットとリスクを天秤にかける以前に、そもそも病気のリスク自体が相当低いということを考慮しないといけない。

こうした事情なので、ワクチンで救われた人の割合は引き算して0.00454%ということになりますし、逆に言えば、人口の99.99546%は、打っても打たなくても発症する人は発症したし発症しない人は発症しなかった。データを額面通り受け取ったとしても、全体の0.00454%にしか効かなかったというわけです。

こういうのって、まあ仮に喩えるとしたら、10万点満点(!)のテストとかで、何もしなくても99995点取れてしまう秀才に対して、「いや君、この薬を飲むと99999点取れるぞ。減点が5点から1点に減る。効果は5倍と抜群だ。さあ飲みたまえ!」と言ってるようなものだと思うんですよね。

そして我々の体も、この秀才と同様、思ってるよりも出来が良い


こういうことを言うと、「お前は人の命をなんと思っているのか」「自分や家族がその立場になっても同じことが言えるのか」と必ずお叱りが飛んでくるわけですが、それに対してはとりあえずこう答えておきましょう。すなわち、

「専門家の方々はメリットとデメリットを天秤にかけて前者の方が大きいと判断しているようですが、それは、デメリット、つまり副作用で被害を受けた人々のことは一体なんだと思っているのですか?」
「統計的に有意だからといって、いざ自分自身や身近な人間がそのデメリットを被る立場になっても同じことが言えるんですか」と。

それでも、こう引き下がるかもしれません。
「何を言っているんだ、デメリットが何件あろうとも、それをメリットが上回っていれば救えた人の数が多いということなんだ。それに対してお前の考えは、ワクチンを打っていれば救えたはずの人を蔑ろにするものだ。全然議論の水準が違う!」

このように返された場合、議論はここで再び「数字の話」に戻ったことになります。生命に関する絶対的立場から、「どちらが多く救えたか」の相対的立場に舞い戻った。ならばこう返すべきでしょう。

「結局、生命を相対的観点で評価するのであれば、HPVワクチンは全体の0.00454%にしか効かない(99.99546%は関係ない)という情報もセットで提示すべきでは?」と。


もちろん、これは alleged なエビデンスを額面通り受け取った場合の話です。上で詳しく議論してきたように、過小評価された副作用、研究自体に付きまとう諸々のバイアスという観点を加味すると、「あったとしても極めて小さい効果」が、正味ではさらに小さくなり、場合によってはリスクがベネフィットを上回ることすらありうる。

また、読み返しながら気づいた、というか思い出しましたが、HPVワクチンに備わっているとされる効果って、正確には、子宮頸がんを減らすことじゃなくて、子宮頸がんの先駆的形態、つまり前癌状態のマーカーの数値を下げるってことに過ぎないんですよね。前癌状態と実際の癌がどこまで直接かつ必然的に結びついているのかは素人目ながらなんとも言えないところでしょうし、このように考えてくると、まあHPVワクチンに限らずですけど、医療的介入の妥当性について、これを落ち着いて冷静に見極める慎重さが、必要であるなと、いっそう感じられてきます。


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