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進歩主義、全体主義、カルト・・・

最近、近代イギリス史について少し勉強しているのだが、その関連で、19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルのことが気になったので、Wikipedia等を活用しながら、軽く調べてみた。

ミルといえば、大学時代に『自由論』や『大学教育について』を読んだことがあるが、中身についてはほぼ忘れてしまっている。なんとなく「リベラルな人」というイメージしかない。

Wikipediaの英語版を読んでいると、やたら progressive とか development とか improvement といったフレーズが目につく。「進歩的」に「発展」に「改善」・・。そうか、そういえばミルは進歩主義的な人物として認知されていたな。

時代自体も、そういう時代だった。ミルは1806年生まれで1873年に死んでいるのだが、たとえば明治維新で西洋化に着手し始めたこの時代の日本人も、ミルの『自由論』やスマイルズの『西国立志編』(自助論)を手に取って、進歩主義の思想を摂取していた。ダーウィンの進化論にしても、それに刺激を受けたスペンサーの適者生存論にしても、とにかく19世紀とは進歩の思想が花開いた時代なのである。そうそう、進歩といえばマルクス主義も付け加えておかないといけない。

冷戦の終結と21世紀の幕開けとともに、マルクス主義に代表される「進歩主義的なもの」は歴史の表舞台からは消えてしまった、そんな印象もあるわけですが、

一方で、現代社会をよくよく見ると、案外、進歩主義の残滓は残っているんだと思う。健康主義に科学主義、フェミニズム(社会的弱者のための権利拡大運動)とか。終末論的形態としては、気候変動脅威論もその仲間に加えることができるでしょう。ミルがもし現代に生きていたら、きっとこのうちのどれか(もしくは全部)に傾倒して、キレキレの論客として名を高めていたことだろうと思う。

ちなみに、ミルは進歩的な妻との実質的な共作として、『女性の隷従』という本を書いています。刊行は1869年だったようですが、早くもその時点で、彼は女性参政権の必要を主張していたらしい。

こういう事情だから、ミルは、当時から哲学的急進派と括られていたようです。守旧的な地主権力に挑戦する進歩的急進派という位置づけ。杉原四郎先生の『ミルとマルクス』から少し引用したい。

当時の思想史の展開過程の中で当面われわれに直接関係のある哲学的急進主義は、それがほかならぬ産業資本の立場を当時において代表しえたという性格の故に、歴史的現実主体にとっても基軸的地位をしめるものであった。

杉原四郎『ミルとマルクス』p.163

進歩主義、急進主義というからには、それに対して己自身を対置するところの、敵対勢力の存在が前提されている。ミルのような哲学的急進派は誰と闘ったのか。土地の利権にあぐらをかく守旧的な地主層だ。彼らは、時代の変化にもかかわらず、ぐだぐだと悠久の既得権益にしがみついている。これを変えたい、それもドラスティックに根底から、この社会構造を変えたい。こうした社会変革への欲望が、単なる鬱屈した実存の叫びに終わらず、実際に世の中を変える力となりえたのは、実は、こうした急進的思想が、当時の産業資本家の営利的思惑とぴったり重なったからだった。

ミルに代表される哲学的急進主義(功利主義・自由主義)は、当時勃興しつつあった産業資本家と、そのメンタリティにおいて親和性が高かった。いわば産業資本を理論的に正当化するものでもあったわけです。

産業革命(工業化)の端緒は18世紀にあったとはいえ、ミルの思想的先輩筋にあたるアダム・スミスやジェレミー・ベンサムの時代は、まだ社会構造の大規模な変容はもたらされていなかった。それが、フランス革命を経て19世紀に突入すると、産業資本の急速な発展が生じ(もっとも、金融資本が主導だったという説もある)、これに伴って「牧歌的な」小生産者が没落した。それには旧来の伝統的な地主支配の没落も連動していたでしょう。

こうした流れの中で、ミル親子に代表される哲学的急進主義は、旧来の地主権力を攻撃する理論的武器としての性格をそなえながら、新興の産業資本家と運命を共にし、リベラルな社会改革を推進していく動力となっていった、と。


「既得権益にしがみつく地主層 vs 進歩的な新興の産業資本家たち」という構図を念頭に置きながら、もう少し解像度を上げていきたい。

杉原先生は、上記の『ミルとマルクス』の中で、ミルの哲学的急進主義は、地主攻撃の理論的武器(p.164)になっていたと記しているわけですが、とはいえ、この19世紀前半のイギリスにおいて、地主権力が「どれだけ強かったのか」は、必ずしも明確ではない。

ミルの口調を観察していると、当時は、自由主義(資本主義)なんてまだまだ勃興期で、地主支配の伝統的力学の方が、まだまだ圧倒的に大きかった。だからこそ、強い口ぶりでそれを批判する必要があった。そんな構図を切り取ることもできますが、

逆に、実は、地主支配は急速に没落してほとんど死に体になっていたのであって、十分に弱くなった相手を、いわば「時代の勝ち馬に乗る」格好で袋叩きにしている、そんな構図も読み取れるわけです。

1832年の選挙法改正では腐敗選挙区が廃止されたりしていますし、時代の流れは、もう都市産業資本の勝ちで決まり、という相場観があったような気もしますね。また、実は18〜19世紀のイギリスでは、農業生産力が大幅に向上し、人口が100年足らずで数倍も増えていたみたいなんですよね。

当時、イギリスでは余剰人口がだぶついていた可能性が高い。彼らも行き場がないので、産業資本がそれを吸収し、労働者にしていった。その中で、地主のような土地貴族の声ばかりが反映される当時の政治制度は明らかに不均衡だ、改革すべき!という声が盛り上がったのかもしれません。

その意味では、ミルのような進歩派は、守旧的な地主勢力に対して「お前らはまだしぶとく利権を死守しようとするのか、けしからん!」といった具合に、ちゃっかり時代の流れに乗っかって地主批判に加担していたという線もある気がします。


また、視点を変えて、没落する地主層の目線に立つと、この一連の動きは、ある種狂信的なカルトみたく見えていた可能性もあるんだろうなと想像します。

ミルのリベラルな進歩主義は、スコットランド啓蒙思想の流れを受け継いでいて、その根底には、大陸の啓蒙主義と同様、人間の理性によって正当化できないあらゆる権威を拒絶するという芯がある。啓蒙というのは文字通り「蒙を啓く」というわけで、地主の伝統的支配のもとで抑圧されてきた人々の知性を、進歩的な合理主義の光で開花させるという動機に支えられている。啓蒙主義は、これまでの地主支配を乗り越えて、これからは人間の理性の力のみで未来を切り開いていこう・・といった形で、「過去は悪で未来は善」スキームの進歩主義と強固に接続されていくことになった。

進歩主義という根本気分に支配された啓蒙主義。これは現代でもあちこちで観察できるもので、たとえば(軽蔑的な意味での)プロ市民とか、Wokeとか、フェミニストなんていうのは、啓蒙主義の現代的風景そのものなんだと思うんですね。

たぶん、こういうカルト的な進歩主義勢力は、いつの時代もある種の少数派、マイノリティとして、社会の片隅で細々生き延びてきたんだと思うんですが、

まあ、いわば「権力ダサい、俺たちイケてる」的な、どこかロックな実存主義的気分というのを、社会は常に少数派として許容してきた。

しかしそれが、近代、特に19世紀以降は、産業革命とともに、産業資本家が自立してきて、労働者を囲い込むようになった。これは、政治経済的に旧来の伝統的な地主支配と対立するものなので、進歩的な啓蒙カルトとの相性も良かった。かくして、啓蒙思想は「まさか自分でもそんなところまで行くとは思ってなかった」ような仕方で、資本主義と一緒になって、社会の前面に躍り出てきてしまった。

元来、カルトとして社会の片隅で燻り続けていたであろう急進的な啓蒙思想が、資本主義という「時代の勝ち馬」に乗っかって、あれよあれよと社会の主流派の地位に躍り出てきてしまった。ベンサムやスミスもびっくりの展開です。資本主義によって「本当に未来が良くなっていく」ことがなければ、「過去は悪で未来は善」と無責任に想定する啓蒙思想なるものは、とても社会の中心に据えるわけにはいかない危険思想だった。僕が言っているのではなく、当時の地主層はそんな複雑な気持ちで事態の推移を見つめていたんじゃないかというあくまで「想像」です。


岩波文庫の『自由論』のあとがき・解説では、ミルの思想と自由民権運動との関連に言及されたりもしていますが、

意地悪くいえば、自由とは、封建的な地主層に邪魔されず思うように私的利益を追求する自由であり、

その一環で拡大していった参政権、つまり「政治への自由」という事柄にしても、産業資本が自らの支配力を盤石にするため、また、地主権力をさらに弱体化させるため、下層大衆をいわば「懐柔」して実現に至った権利に過ぎないという構図もあると思うんですよね。

民主的改革で庶民を解放し、政治参加をエンパワーするという大義名分で、近代以降、資本主義による一切の商品化が正当化されていった。政治的解放はその免罪符として使われた、みたいな構図です。

その点では、啓蒙主義の結果、現代が民主主義的な社会になっていることについても、これを「たまたま運が良かった」として評価することも可能になってきますし、また、本来急進的なカルトに過ぎなかった知識人の夢想が、資本主義の追い風を受けて「うっかり」現実になってしまったという見方もできるわけですね。現代人が、進歩的なリベラル思想の恩恵に与りつつも、どこかその急進的で全体主義的な気分に距離感を感じざるをえない(せっかく獲得した権利なのに、みんなあまり投票に行かなかったりする)のも、それが元々カルトだったという可能性に想いを馳せることで、少しばかりモヤが晴れてくれるかもしれません。


現代に目を向けてみます。

現代では、もはや地主のような「定住農耕的権力」はほとんど一掃され、リベラル的文脈で打倒すべき相手といえば、それが勃興してきたときには利害を共にしていた資本主義ぐらいしかなくなった。

ただ、残念ながら、もはや伝統的支配力となった資本主義に対して、それを批判する革新的勢力は、立憲民主党や日本共産党に代表されるように、なかなかモメンタムを起こせずに小さく燻ってもいますね。それらの党は、実際、世間的には夢想的な急進的カルトとして冷遇されている向きすらある。

彼らに必要なのは、主張の説得力でも正しさでもなく、単純に新たな「時代の勝ち馬」なのかもしれませんが、19世紀の産業革命ほどの馬力を備えた「マシーン」というのは、そうそう出てくるものではない。

だから彼らも「本気で勝とうとしてもいない」感じが否めませんね。「まあ我々だって資本主義とともに成り上がってきた『元カルト』なんだから、抗っている体で体制をゆすりたかって寄生しよう」という戦略に落ち着いていく。ジョゼフ・ヒースの『反逆の神話』をちょっと思い出したりもしますが・・。

資本主義は、少なくとも先進国に関してはだいぶ焼きが回ってきたとはいえ、かといって対抗する新興の強力な「勝ち馬」が登場しているわけでもなく、近代以降の進歩主義的な面々(健康主義、科学主義、フェミニズムなど)は、なんとかして少しでも進歩してるようにみせようと「奮闘」(ブルシットジョバー化)している。

かつてほど経済も成長しなくなった現状に対応するかのように、健康主義の文脈では、「あったとしても極めて小さい効果」ばかりを強調して大衆に健康増進を説教し、またフェミニズムやLGBTQなど「他者論」の文脈でも、コロナ禍の実質的なマスク・ワクチン強制に対して、フーコー的な生権力批判を展開して「骨太に生きる」ことを提案できなかった。

かくして進歩的な啓蒙思想は、軒並み全体主義の観を呈してきており、人民を解放するどころか、それ自身が人民を抑圧する力学として機能するようになった。中途半端に権力があるので、うっかり全体主義を体現してしまう。全体主義、あるいは権威主義といってもいいでしょう。

その点では、ドナルド・トランプや高市早苗、マリーヌ・ル・ペン、ジョルジャ・メローニ、AfDなどが台頭してくるあたり、こういう左派全体主義に異議を申し立てる右派革新という文脈で位置づけるべきなのかもしれません。

強いていえば、彼ら新興革新勢力には、インターネットやSNSという武器があることにはある。19世紀の啓蒙主義が産業革命の追い風をバックに登場してきたとしたら、21世紀の革新勢力はGAFAなどの西海岸ビッグテックの追い風を背に登場しつつある。「右派テック革新」とでもいうべきか。

革新右派の伸長によって、左派全体主義を構成するとみなされた進歩的諸要素の力が削がれ、本来のカルト的性格がいっそう可視化された上で、元のマイナーなポジションに戻ってもらう。そんな流れが徐々に形成されていくのかもしれません。極右の正常化。

種々の進歩主義的啓蒙思想は、資本主義の発展とともにたまたま表舞台に出られたにすぎない。資本主義が行き詰まったら、元のマイナーな居場所に帰ってもらうしかない。もちろん右派と左派のやり合いは今後も続いていくのだとは思いますが、そのような仕方でじわじわと、右派の正常化と急進左派の解体というプロセスが進んでいく。21世紀はそういう100年になるのかな・・ということをぼんやり考えている。

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