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躁と鬱の記憶

最近、最終診断が双極性障害(Ⅱ型)になりました。
今思うと、調子が良い時と悪い時が交互に現れていました。

まだ1年という短い期間ですが、最近ふと思ったことを書き殴ろうと思います。

躁と鬱の記憶が独立している?

躁の時は、とても活動的で様々なことに手をつけたりします。
私の場合は、ギターを始めてみたり、ランニングを習慣化してみたり、SNSを始めて他者と交流してみたりなどです。これらの行動は突発的な衝動で起こることが多かったです。

一方で鬱の時は、生きるだけでも非常に嫌で、希死念慮が強く、何もできずに寝たきりになっている一日でした。何かすると言っても、動画を一日中観ているだけでした。

今は割と躁状態に近いのですが、どうも鬱の時の記憶が薄く、また「どうしてそうなったのだろう?」と思うことが良くあります。逆も然りで、鬱の時には躁状態の記憶に対し「どうしてあんなに活動的だったのだろう」と思っていました。

特に躁状態の時に鬱状態の時の記憶(躁→鬱)、鬱→躁の記憶を思い出すのが非常に難しく、ぼんやりとした状態になっています。大きな事象、たとえば初めて通院したなどは思い出せますが、詳細は一切思い出せません。

同じ状態の時だと思い出しやすい

先とは対照的に、躁→躁と鬱→鬱の記憶は思い出しやすいことが最近分かりました。

例えばギターを弾きたかったのは、昔からサカナクションの曲を弾きたいと思っていたからや、寝たきりのときは工場見学の動画をひたすら観ていたなど、細かい記憶が同一状態の時だと思い出しやすいです。

ただし、鬱の時は頭が全く回らず、一方で躁の時は頭が非常に回ります。このような違いが作用しているかは分かりませんが、躁と鬱の記憶は分かり合えないことがほとんどです。

躁人と鬱人

ここまでは記憶が分かり合えない、独立しているのではないかと考えてましたが、もしかしたら人格が変わっているのかもしれません。

躁人と鬱人、相反する存在が自分の中におり、一生付き合ってくと考えると、頭が痛くなります。


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