青島の猫たちが教えてくれる、動物保護・動物福祉のかたち。
野良猫は必ずしも不幸なのではない。
猫の生体として自力で生きていけるような環境があるかないかで、それは左右すると思う。
猫にとっては、人間が整え行き届いた中で生きるメリットと、管理されて不自由になるデメリットがある…その島の猫達は私に語ってくれていた。
(下記はかなり古い記事だが、参考までに目を通されて欲しい。)
私はコロナ規制が解除された年のある日、この記事を目にしていた。
何かが胸に響き、いてもたってもいられずに、私にも出来ることはないでしょうかと、大津市や青島猫ボランティア団体様へコンタクトしていた。
冬場にメンテナンス以降まだ青島フェリーは稼働予定も決まってない数か月前、キャンセルになる可能性もかまわず、私はいそいそと渡島のためホテルや交通機関を予約。
独りよがりや押し付けでないような支援やお手伝いが出来たらと心して。2024年4月上旬ようやく島へ訪れることが出来た。
青島は現在たった3世帯5名、高齢者だけの離島である。
近い将来は完全な無人島になる運命を辿りながら、人がいなくなった時にここにいる猫達はどうなるのか?そういう問題があった。
ここには食堂も宿泊先はもとより、郵便局も病院も、コンビニも自販機も、何より水道のインフラすらない。
捨て猫から避妊処置をしてない猫達は200匹以上にも増え、それを見た旅人が「猫の楽園」とSNSで観光地化されたことで、島民が望まずながら多くの日本人・外国人が猫映えスポットとして、その静かな小さい島にどっと押し寄せるようになった。
島の方々はこの猫達を観光要素にしようという考えはさらさらなく、そばにいて見かける不憫な猫らに自然にお世話していた。
このれっきとした地域猫を見るために、観光客はその町内へ「お邪魔」している状況な訳である。
それでも、ユーチューバーやインスタグラマーを名乗るツアリストの中には、マナーをわきまえず船上で騒いで動画撮影したり、猫たちを映えに使おうと嫌がるのを無理やり触ったり、持ち込んだゴミを島に捨てていったりしていたらしい。
一方で島民は当初、猫は自然にまかせたいという考えから、避妊手術が猫達を守ることになるという理解に浅く、猫達へのTNRがすすまない中どんどん鼠算式に増えていった。
すると、盛りの猫同士が喧嘩したり、雌猫を狙う雄猫が子猫をかみ殺したりという、猫の本能からくる悲惨な状況も、狭い島の中であちこちに起こっいたという。
そうした中、それを見かねた島の人々とボランティア団体さんが意を決して、島に反対意見も多々ある中で話し合いをまとめてゆき、その数年後、猫たちの一斉TNを実施することができた。
嵐で船が往来できなくなりそうなシーズンだったらしく、医療チームはその時は島に泊り込み、夜を徹して猫達を措置したという。
その結果、現在にいたり、猫は70匹以下になっていると聞いた。
いまは猫たちは一部飼いネコだが、こちらでは猫の意思に任せていて、基本的には「ノラ」扱いで出入り自由。
必要なエサもあるし、外にも雨梅雨しのげる場所があり、天敵(カラス?鷹?いない?)から逃れいつでも入れる民家もある。
彼らが生活する上で必要な時は治療するが、無理やりに延命はしない。
猫たちは島のどこにでも出かけていっては、仲間と遊んだり、気ままに過ごし、好きな時に寝床に帰ってこれる。
ここの猫たちほど、自由でおおらかなに暮らしてるところは他にはない。
今となっては本当の意味で、猫の楽園となったのかもしれない。
まるで島全体が大きな保護施設というか、自然保護地区とでもいおうか。
こうして今は、人間も猫もお互いシニア同士、静かな島時間を共存することが出来るようになった。
そんなことも知らず「猫に出会えるツアー」と言いながら、無責任に浮かれてやって来る旅行者に対して、島民もいろんな葛藤と複雑な気持ちがあると思う。
それでも、猫らを一緒懸命に世話をしながら、旅行者を迎えてくれる住民の方々の思いや苦労も、猫の中で私達は知るべきであり、理解ある態度をとる必要がある。
運輸省は基本的には、島のフェリーも国民のための「道路」だから、いずれ猫だけになった場合は、ここのフェリーは廃線になるだろうと話されている。
聞いたところ、猫たちは島から出たがらない子達が多く、前に病院で一時入院のために島を離れた「ドキンちゃん」も騒いで、帰るまでずっと神経質になって過ごしていたという。
ゆえに島が完全な無人になった際、その子たちを本土の施設に移して家猫として譲渡するのは難しいかもしれない。
ここで生きて来た猫らを、良かれと思って馴れない環境へ無理に保護し、逆にストレスで衰弱させてしまうのは、人間の勝手なのだ。
出来るだけ猫達には島民のいる間に幸せな老後を過ごし、自然と減っていってくれたらいいと思う…と青島猫ボランティア代表のTさんは話していた。
青島の猫はもうシニアが多く、毛も抜けて、汚れていたり、器量よしじゃない猫もいるけれども、そいいう見かけじゃない美しさがある。
この島で生き抜いてきた、誇りと逞しさ、そういったものが猫達の表情にあるし、島民へ向ける彼らの真っすぐな愛情、優しくてどっしりした佇まい…そんな魅力が、どの猫からもにじみ出ている。
ここは、島民と猫たちが作っている特別な「聖地」なのだ。
何にもなくても便利でなくても、都会や街では得られない「稀有な空間」である。
勝手な思いながら、ここはずっとこのままであって欲しいと感じた。
今回は猫と地域の共生について、つくづく考えさせられた。
島で生き抜いてきた老猫達と彼らを守り続けた島の「猫お母さん」の朗らかさに私は元気づけられたし、人と猫という種を越えた信頼関係と愛情の奥深さにも打たれ、深く記憶に刻まれる旅となった。
またいつか来たい…来なくちゃならない…そう思った。