岐阜県郡上市 石徹白(いとしろ)に滞在して~vol.2~
前回は、石徹白に滞在しようと思ったきっかけの部分を記したが、今回は3週間滞在したうえで感じたこと、22年間当り前だと思い、疑問をもたなくてもよかったけれど、疑問を持った発見を記そうと思う。
1.食器用の洗剤は必要ないのかもしれない
私がお世話になっている方のお家で、お昼ご飯に焼きそばをご馳走になったときのこと。
私は、食べ終わった後に食器を洗おうとしていつものように食器用洗剤があるかどうかを必死に探していた。
しかし、普段私が使っているようないわゆるJOYやキュキュットのような洗剤は見当たらなかった。
※:旦那さんはそのお家の旦那さん。私の旦那さんではないw。
私:「洗剤どこですか?」
旦那さん:「そこに米ぬかない?」
旦那さんが米ぬかと言っていたものは、茶色い粉だった。
その茶色い粉をつけてみると、あまり泡立たないことに気が付いたので、
焼きそばを食べただけだし、水でいいのかなと思い、
私:「水でいいですかね」
旦那さん:「うちは、基本水、油で汚れているものはお湯っていう風にしてるよ」
と言われたので、思い切って水で洗った。
ここは長良川というとても素敵な川が流れているから川を汚したくないという思いがあるのはあると別の方がおっしゃっていた。
その時から、私も水で食器を洗う生活を試してみようという気持ちになり、「なぜ私は今まで洗剤で食器を洗っていたのだろう」 という疑問がわいた。
物心ついたときから、そういうものだと思い込んでいたし、疑問を持たなくとも生活が出来た。疑問を持たずに済んでいた。
実際に、水で洗う生活をしていて感じたのは、「意外と水でも洗える!」ということだった。
もちろん、これは自然とスーパーや飲食店がない環境下で、野菜をありがたいことに色々な方から頂くことが増えて、あまりベトベトしない野菜とご飯を食べているからこそなのかもしれない。
2.シャンプー、ボディソープはいらないかも!?
ある日、藍染めをしている時、
「やっぱ、あれだけシャンプーなどの宣伝しているってことは宣伝しないと売れないってことだよね~」
という会話が聞こえてきた。
この方は、25歳から本当に汚れたとき、においが気になるとき以外は、お湯だけで洗っているという。
今まで、上記のような考えをしたことは一度もなかった。
私は、半年前から大した理由もなく、「お湯で7割の汚れは落ちる」というのを見たからか、シャンプーをするのを辞めていた。(化粧水と、乳液をつけるのもやめていた)
しかし、「髪がサラサラになりたい」という欲望から、トリートメント、なんとなくでボディソープはつけていた。
シャンプー、は辞めたのに他のものをつけているとか中途半端だ、、、
と感じた私は、その日から汚れた日以外は、お湯だけで洗うことにした。
実際、お湯だけで洗ってみると、シャンプーをつけた場合と比べて、髪の「良いにおい」はあまり変わらないと思った。
お風呂に入った後の「良いにおい」は、シャンプーなどの洗剤で構成されるものではないのかもしれないと感じた。
洗剤とかお風呂でもつけなくても良いかもと思った瞬間だった。
3.肉、魚、マック、吉野家はそこにあるから食べたくなる!?
普段外食をするときには、何が食べたいか考えて、沢山ある選択肢の中から選ぶ。
私が住んでいるところには、マック、塩ラーメン屋さん、はま寿司、ミスド、松屋、サイゼ、COCO壱番屋、おしゃれで高すぎないイタリアン、居酒屋など外食するのに困らない、選択肢が多様にある。
スーパーで買い物をするときには、自然と肉、魚のどちらかを買い物するたびに手に取っている。
なにかを食べたいと思えば、自然と困らずに手に入る環境である。
しかし、スーパーもコンビニもない、唯一空いている飲食店も、週に3日しか空いていないという状況では、不思議と
普段なら沢山思う
「ラーメン食べたい」
「マック食べたい」
「スイーツ食べたい」
を全く思わない自分に気が付いた。
食べたいと思ってその気持ちを無理やり我慢しているとかではなく、本当に思わなかった。
おそらく、誰かに出会う度にもらうお野菜で心が満ち足りていたのかもしれない。
普段、スーパーでどこの誰が作ったのかわからないお野菜を買うときに、それをダメにしていても何も思わない自分がいた。
だけど、顔を知っている範囲の人が作ったお野菜だと、ダメにするわけにはいかなくて、もらってきて即日か次の日には調理をする。
この調理をするという事一つとってみても、普段は冷凍食品やインスタントの物を買ってしまうこともあり、調理しなくても困らない環境で、調理することがめんどくさいと感じてしまうので、私は毎食調理をしない。
しかし、冷凍食品を買えない状況なので、自然と調理せざる負えず、調理に対してのめんどくさいという気持ちが少し減っていった。
先ほど、スーパーでは肉や魚は自然と手に取っていると言ったが、肉や魚を手に入れることが出来ないと、肉や魚を食べたいとも感じなくなった。
(肉は、岐阜県の郷土料理鶏ちゃんをどこかで頂く際に、食べるくらいで自ら肉を欲して食べたことは一度しかない。)
22年間で疑問を持たなくても生きてこれたことが、グアッと180度ひっくり返される感覚。
こんなの初めてだ。
普段住んでいる場所に戻ったときに、自分はどういう感情を抱いてどういう生活の変化があるのだろうか。