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楽曲解説 「Far Saa Far」 〜 故郷から脱出した人々

♪IMERUAT 3rd Album "Far Saa Far" より "Far Saa Far"

努力が報われないことはある
生まれたときから槍の雨の下にいた彼女はがんばりが足りないの?
社会のせいにするのも勇気がいる
すごく勇気がいるんだ

Far さぁ Far
この故郷から逃げよう
Far さぁ Far
かっこ悪いことじゃない(逃げ出すのは)
(=『生きる』という選択をして何がおかしいの?)

Sometimes effort is not be rewarded
Is it because the girl born under the rain of spears
is not trying hard enough?
It takes courage to blame society
You need so much courage

Far さぁ Far
Escape from my home land
Far さぁ Far
There’s nothing to be ashamed of (to escape)

Words and Music by Masashi Hamauzu

時流にまるで乗っかっていない構造

関係者にのみ公開している「イメルアとは/10曲を簡単に紹介」のエントリには以下のように書かれている。

4位 生まれたときから槍の雨の下にいる彼女はがんばりが足りないの?
3rdアルバム収録の「Far Saa Far」の独白部分。シリア難民問題が大きく取り上げられるようになり、その難民を批判するトンデモが出てくるようになった時にムカついて書いた。タイトルは北海道の某旅館の従業員の「おはようございまーす」を「ふぁーさふぁー?」と空耳して生まれたもの。それが「遠くへ、さあ、遠くへ、逃げよう」という意味に変わり、この曲の誕生に繋がった。

空耳というよりボケです。その従業員の方に「おはようございまぁーっす」と声をかけてもらって挨拶を返したあと、「ふぁーさふぁーって聞こえたな」とボソッと言ったら、Mina(相方のボーカル)がツボってしまい、階段でコーヒーを持ったままこぼれないように笑いを堪えるのに必死になっていた。未だにどこにスイッチがあるのか全く不明だが、あまりにも引きずるので「ふぁーさふぁー事件」としてしばらく繰り返し語ることになった。その後シリア難民のことに限らず、下が下を叩く無様さについて色々考えていた時期にもずっとこのネタが併走していて、ある日突如「Far さぁ Far」「遠くへ、さぁ、遠くへ逃げよう」と繋がった。「Saa」は日本語である。

音楽的な話をすると、この曲はレベル(音量)差が極めて大きく、静かなイントロが非常に長い構造で、我慢して1分以上聞いた時の悦びにこだわった。すなわちパッと聴いた人にすっ飛ばされてしまいやすい「時流にまるで乗っかっていない構造」である。以前、大師匠バイオリニストに「浜渦さんは金持ちになれない」と言われたことがあったが、本当にそうだと思う。だから以前より北海道の町営住宅を応募するのはどうかな?などと考えていたのだが、種苗法がヤバいしいよいよ窮鼠だなと思う今日この頃。

低劣なレッテルという標題からの迅速な採決

それはさておき音楽的な話だ。2015年にライブで初演したときは全然違う構造の曲だったのだが、独白部分のイメージが「そうだ難民しよう」みたいな低劣なレッテルを魔除け札のように貼られた少女に決まってからは、その部分を中心に前後の構成が大きく進化していくことになった。これは「シグマ・ハーモニクス」の「希望与えし『戌吠の神楽』」の時と似ていて(前述の窮鼠とかけているわけではありません)、最初は漫然とバトル曲を書いていて面白味がなくて典型的な「俺はやはり才能がない」に陥ってしまっていたのだが、「ヒロインのキャラを活かそう!」と方針を決めた瞬間、「爽やかで明るくしてやれ」という目標が生まれ、展開部の転調後をメジャーコードにしたら(もちろん理論でそうしたわけではなく「気づいたらそうなった」です)あとはそれに従って整えていくだけでスムーズであった。

ホントに標題は大事よ、と思う。「バトル曲を〇個、フィールド曲を△個作って、以上」と言われたらダメなものばかりが出来るし、逆に「自分としてもこんな世の中だからこういうものを作って皆の力に…(モゾモゾ)」なんてやられた日にゃ、その場で「これだ!」と閃いて脳内完成することだってある。あの「脳内のミニ俺がそれぞれ自分の持てる武器と理想を持ち寄って激論を交わして生まれる、個人主義の集合体の西欧型民主主義のようなスピード感ある、楽曲方針委員会での採決の瞬間」は本当に堪らない。ただ脳内の議事録機能は内閣もビックリなほど脆弱なため大急ぎで構築するしかなくて、「忘れてしまうんじゃないか」の緊張感だけが大変だが。

「祖国でない国に引き揚げる」という類い希なる選択からの連想

話はさらに遠くに遠くに逸れたが音楽的な話。サビから鳴る地鳴りのようなシンセベースは彼女らが踏みしめていく大地の大きさと深さ、刻んだり伸ばしたりする弦楽がこれから遭遇する未知の世界に対する、不安より希望を勝たせるでしかないであろう感覚を表しているはずである。シベリア抑留後、苦渋の決断で「祖国でない国に引き揚げる」という類い希なる選択をしなければならなかったサハリンの少数民族のウィルタ、ニヴヒのその後を思い出す。自分らをラーゲリ送りにしたソ連に占領されているとは言え先祖代々住み続けてきた故郷に戻るべきか、国家の都合で戦争に巻き込まれたとは言えかつての戦友である日本を第二の故郷に選ぶか。彼らの一部は後者を選び、全く予想だにしなかった辛酸を嘗めることになるのだが、私はどう考えても「第二の故郷なんて考えが甘い」とか「嫌ならサハリンに帰れよ」という理屈が入る隙間などないと思った。後に彼らに於ける諸問題は国会(※1)で議論されることになるが、そうならなければ多くの専門家ですら見つけられなかった法の落とし穴「など」を、十数年前までツンドラの大地を駆け回っていた少数民族に、未来を予想し、準備しておけというのは無理がありすぎる。こういった事実を連想したとき、故郷を失った少女の背景について一体どこまで知っていると言えるのかと痛感するわけである(※2)。あれ、また音楽と関係ない。いやいや大あり。主人公の少女の歩く世界のイメージは自分の中でこのようにサハリンの風景と滅茶苦茶被っていた。間宮海峡の海底を伝って地続きになっているような感覚、それが地鳴りベースに繋がる。そしてさらに数奇な運命を辿った人々をとりまく政治、歴史、社会、ひいては枝葉のような要素までもが楽曲に提言し彩る要素となっていく。自分のようなポンコツ作曲家が常に標題に困らず、なんとか書けている要因、それが「音楽以外に触れる」という技法であり理論なのである。素材を知らずに料理技術だけ語っても「何故そこに切り込みを入れるの?」には答えられないじゃない?材料がなければ始まらないので、どうしても「音楽的」の解釈の中に入ってきてしまう、こういうわけですね(汗)。

また当時、丁度いいタイミングで目の前にシリアの大地が瞼の裏に浮かぶような機会があった。ドバイ経由でスウェーデンに行った帰り、眼下に広がる中東の大地を見てよりイメージは膨らんでいった。もちろん中東は広い。日本を表すときに大きな銅鑼を東アジアで括ってグワァーンと鳴らすみたいなことはしてはいけない。たとえ日本人でも三味線にロクに触ったこともないのにすぐ使うのは勇気がいるし(劇伴はちょっと違う、その理由はまたの機会に)、オリジナル作品であれば本当に興味を持ってから使いたいと思うものだ(「勉強してから政治を語れ」とは条件がまるで違うから混同してはいけない)。世界遺産の曲やコーヒーの産地の曲を書くことが多いのだが、そういうこともあって勝手なイメージで楽器や音階を無闇に選ばず、なるべく感性に従うようにしている。それでもってそもそもシリア上空は基本的に民間機は飛ばない。ただ、知識に近い場所に近づくとインスピレーションは激しく刺激される。何度も痛感した。

さてこの旅館だが、昨年閉業してしまった。長い歴史を持つ素晴らしい佇まいで、料理が本当に美味しかった。紹介すればよかった!


※1 第77回国会 参議院 内閣委員会。小笠原貞子の質問。

※2 ウィルタやニヴヒを徴用して戦争に巻き込んだかつての上官二人(いずれも日本人)のうち、一人は贖罪の活動を始めて多くの小説に記録を残し、もう一人は今も続く慰霊祭を立ち上げている。数少ない資料を信じるならば「二人とも所謂保守思想の持ち主なのに」である。事実を直視していた人の声は聞くしか無いやんと思わされた話。

※ 写真は北海道の野付半島。かつてサハリンの敷香(現ポロナイスク)北東部にウィルタやニヴヒが住んでいたオタスの杜という集落があった。旧樺太特務機関員でそこに住むウィルタの軍事教練を担当していた波木里正吉氏は、戦後ウィルタの第二の故郷となった網走をオタスの杜に似ていると感じた旨を小説に書いている。自分としてはポロナイスク東側の多来加湾の砂州は野付が似ているんじゃないかと思った。それだけ^^;

ちなみに500冊しか刷らなかったとご本人から聞いた「オロッコ物語」。私がこの世で一番好きな小説。

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