
生い立ちを振り返る
先日カウンセリングも受けて、言われたのは幼少期からの出来事や家族について深く聞きたいと言われました。
というのも私は物事を不安に考えてしまう思考のスイッチがあるようで、調子が良い時はスイッチは、オフになっているが、今回のように適応障害や休職などマイナスな出来事が起きるとスイッチがオンになり、不安から抜け出せなくなるようです。
先生いわくその癖を認知行動療法で改善していく必要があるとのことでした。
考えや思考の癖には、幼少期の経験が関与するケースが多いようです。
私の幼少期における家族構成はややこしく。
両親は3歳の頃離婚し、その後は両親と住んでおらず、父方の祖母と叔父の3人で住んでいました。
小さい頃からそれが普通だったため、何も違和感は感じていませんでしたが、幼稚園の年長の頃に急遽母親が一緒に住むと言い出して、祖母から無理矢理引き離され、小さいながらに泣き叫んでいた出来事は鮮明に覚えています。
その後は母親と母親の彼氏?と3人で住むようになり、今となっては不思議な生活をしていたなと改めて感じます。
小さかった事もあり、次第に母と住むのも慣れていましたが、ある時から母親の彼氏はいなくなりました。
当時はよく分かっていなかったのですが別れたのでしょう。
その後、小学校1年生までは母と2人で住んでいたのですが、ある日唐突に今日学校が終わったら祖母の家に帰りなさいと言われました。私は何故?と思った記憶があるのですが、ばあちゃん子だったので嬉しく思った記憶があります。
それから高校生活を終えるまでは、祖母と叔父の3人生活が再度スタートしました。
よく両親と住んでいなかったと話すと、寂しかったでしょ?などと言われるのですが、私にとって祖母と叔父の3人で住むのがデフォルトであり、親と住む事に違和感を覚える状態だったので寂しいと思った事は一度もないですし、祖母と叔父が育ててくれたと思っています。
残念ながら今は祖母も叔父も亡くなってしまい、帰る家がないという寂しさはあります。
一方で父親とは昔から数年に一度会えれば良いくらいの関係性でした。多分高校卒業までに会った回数は指で数える程度です。地理的に遠く離れた場所に住んでいた事が大きな理由ですが、父が頑張って働き仕送りをずっとしてくれていたため、今はとても感謝しています。
また、偶然ですが2年程前から、父とは家が非常に近くなり、昔会えなかった分を取り返すかのように、最近はよく会っています。
孫の顔を見たいのもあるかとおもいます。
変わった家族構成ですが、特別不自由なく育ててもらったと思っています。
両親が育てていない事に何かしら原因があるのかはわかりませんが、それ以上の愛情を祖母や叔父からもらっていたと思っています。
一方で中学や高校時代は、私の中で辛い出来事ばかりでした。
私の今の不安感や自信が持てないのは中学生時代の出来事が原因だと思っています。
中学一年生の頃に、授業中の本読みで指されていつも通り本を読み始めたのですが、その日は急に違和感に襲われて、動悸が止まらなくなり、息苦しくなった事で声が震えてしまい、みんなに笑われてしまいました。
それまではクラスのムードメーカー的な存在でしたが、その日を境に私の人生は大きく変わってしまい塞ぎ込みようになってしまいました。
また震えたらどうしようという不安との戦いのスタートです。
中学時代はそんな中でもなんとか、成績だけは維持しなければと自分なりに勉強を頑張り県内でもトップクラスの高校に進学しましたが、高校に入ってからは、授業で指される不安と戦いながらでは、勉強に集中する事が出来なくなり、自分がいける範囲で大学へ進学する事になりました。
本当はもっと授業に集中したかったし、夢を持って進学先を選びたかったのですが、難しかったです。
塾にも通いたかったですが、それも不安で行けませんでしま。
大学時代にひとつ気付きがありました。
中学や高校当時は気付きませんでしたが、大学の図書館でたまたま手に取った本に社交不安障害(SAD)の記事があり、その時始めて自分はこの病気だったんだと気付き、すごく安堵した事を覚えています。
今までずっと自分だけがおかしいと思っていた事が病気のひとつだとわかり嬉しかったのです。
自分だけではないという安堵感でした。
もっと早く気づけていれば。
誰か教えてくれたら。
対処法があったのではと悔しく思う気持ちも同時に込み上げてきました。
それから社会人になり、今でもプレゼンなどは非常に苦手で緊張するのですが、薬を使いながらなんとかやってこれていました。
そんな中で転職した結果、今度は適応障害となってしまいました。
違う病気ですが、不安障害の絡みもあり、適応障害がでてしまったのかなと思う部分もありますし、私のような性格で、転職すべきではなかったのかもしれないなと思ったりします。
※この思考が不安回路がオンなのかもしれませんが。
自分の中ではこれからも付き合いながら乗り越えるしかないのかなと思っています。
長々と書いてしまいましたが、
またカウンセリングで相談していきたいと思います。